死ぬときに後悔すること
ちょっと古い、2012年の記事なのだけど、終末ケアをしてきた女性看護師(?)のブロニー・ウェアさんが多くの患者を看取ってきた中で、最期にありがちな後悔を紹介し、後悔しない人生を送るためには、という記事(英文)。
どうやら、その後、本にもなって日本語版も出ているらしいです。
で、5つの代表的な後悔。
1. I wish I'd had the courage to live a life true to myself, not the life others expected of me.
(自分に正直な人生を送る勇気がほしかった。他人が自分に期待する人生ではなくて)
2. I wish I didn't work so hard.
(あんなに働きづめにならなければよかった)
3. I wish I'd had the courage to express my feelings.
(自分の感情を表現する勇気がほしかった)
4. I wish I had stayed in touch with my friends.
(友達と連絡を取り続ければよかった)
5. I wish that I had let myself be happier.
(自分をもっと幸せにしてあげればよかった)
以上。
この記事のマトメでも、元々、この記事に行き当たった元の記事でも、言及しているのが、これらの後悔がすべて、言ってみれば、何かを選択し、行動した結果の後悔ではなくて、選択せず、行動しなかった結果の後悔ばかり、ということ。
この辺りが非常にアメリカ的で、やっぱり、アメリカの、特に人の支持を集めるような英雄的な価値観と言うのは、行動によって、あるいは意志の力によって、未来は切り開ける、という概念に基づいているんだろうな、と思う訳です。
僕なんかは、浄土真宗の門徒なので、個人の努力など無意味で、すべては阿弥陀如来の慈悲にすがるしかない、と思っているのですが。
阿弥陀如来はもともと、2世紀のインドで崇拝され始めた如来で、ゾロアスター教または、その影響を受けたミトラ教からの影響を指摘されていて、その点において、ユダヤ教、キリスト教とも通ずるものがある、と指摘する人もいるようです。
人知を超えた、絶対的な力を想定して、そこに人格を与える運命論、終末論、というのは、確かに共通するようにも思います。
ただ、我々が、人生が上手く行かないとき、大いなる力の存在(それを神と呼ぶか、運と呼ぶかはともかくとして)を受け入れて、諦めるのに対して、ああいう思想の人たちは、今こそ、神が与えたもうた試練であり、これこそ神に愛されている証左であり、これを意志の力で乗り越えねばならない、とか考えるんだろうな、とか思うと、これは勝てんなー、という思いに至る次第。
そういう姿勢が正しいかどうか、と言う、優劣や善悪で言えば、今、中東で起きていることや、今後、中国で起こるかもしれないことは、そういった思想への反発も含んでいるのだと思いますが、ただ、それはそれとして、彼らの物事を前に推し進める力に、では、どうやって、立ち向かっていくの? と考えると、中々、明確な対立軸を作り出すことは難しいのではないか、と思うのですよ。
ただ、1つ言えることは、アメリカで定期的にこういうエッセイが書かれ、もてはやされる、と言うことは、多くのアメリカ人も、こういう生き方に憧れてはいるものの、実際には、ほど遠い生活を送っている人が大半なのだろう、とも思う訳ですが。
1992年のヘヴィメタル
これから書く話は、普段のまちづくりとか行政みたいな話とは全然、関係ないんだけれども、流行とかブーム(一過性の狂騒)と、文化あるいはライフスタイルとの関係性みたいな文脈でとらえれば、それなりに意味がないとも言えない、と思って、一応、まとめておく。
こないだ、YouTubeをさまよってたら、1992年の4月に開催されたフレディ・マーキュリー追悼ライヴに出くわして、いろいろと動画を見た。
フレディ・マーキュリー追悼コンサート - Wikipedia
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たまたまフレディが前年の91年11月に亡くなったので、このタイミングだったのだろうけれど、メタルの流れとしては、なかなか、重要なタイミングに開催されたんだなー、と。
まず、トップバッターでおよそQueenと縁のなさそうなMetallicaだけど、前年91年8月に5作目のブラック・アルバムを出した直後で、この日、彼らが演奏したのも、そこからの3曲。
それから、アクセル・ローズがQueen好きを公言していた、Guns N'Rosesも同じく、91年の9月に2枚同時発売の「Use Your Illusion I, II」をリリースした直後。
この3枚のアルバムは、少なくともセールス的な意味では、メタル/ハードロックの歴史を考える上で、おそらく、最も重要な作品で、しかも、この後、92年の夏には、このMetallicaとG N'Rがダブルヘッドライナーのツアーを行うという、まさにその直前での、このライヴだったんだなー、と。
一応、メタルの歴史をおさらいしておくと、1950年代にロックンロールが生まれ、60年代にかけてロックとなり、そこからハードロックへの成長していくのだけど、技術的に複雑になりすぎたり、商業的に予算規模が大きくなりすぎて、若者の自由を謳歌する音楽としてのロックとの矛盾を訴えて出てきたのが、70年代後半のパンクロックで、このパンクロックに対して、ハードロックを再構築したのがヘヴィメタル、という流れ。
一方、パンクロックはファッション性とも強く結びついていたのだけど、1981年にMTVが開局して、プロモーションビデオの重要性が高まると、バンドの容姿も強く問われるようになって、80年代は、メタルの派生形として、分かりやすいメロディと派手なルックスに注力する、LAメタル/グラムメタルというジャンルが勃興するんですね。
で、Metallicaは、そのLAメタルに真っ向から対決姿勢を表明したストレートなメタルを得意としたバンドなんだけど(彼ら自身はLA出身だけど、サンフランシスコに活動拠点を移してデビュー)、彼らの特徴だったスピードを封印して、遅く重い楽曲中心に構成されたのが、このブラック・アルバム。
一方、G N'Rは、LAメタルの延長線上に位置するバンドなのだけど、その最終形態と言うか、浮ついたLAメタルの世界と比べれば、もう少し地に足のついたオーソドックスなハードロックの流儀を取り入れてきたバンドで、そういう彼らの世界観を示した2作目の(そして事実上、最後の)フルアルバムが、この2枚同時発売の大作。
…と見てきたかのように書いてるけど、実は自分がメタルを聞くようになったのは、93年から94年にかけてのこと。メタルを、と言うよりも、自分でお金を払って、自分が選んで音楽を聴くようになった時期で、気が付いたらメタルばっかり聴いてた。
※なので、日本国内のバンドブームとかビジュアル系の勃興とかも、学校に行けば聴いてるヤツがいるし、テレビでもたまに見かけるから知っている、くらいの世界で、全然、分かってない。
で、このたった2年後の94年4月には、Nirvanaのカート・コベインが自殺してしまって、だから、自分には音楽を聴き始めたら、いきなりグランジ/オルタナも下火になってしまったので、本当にこの92年頃のメタル全盛期を肌感覚として、体感していないんですよ。
グランジ/オルタナ、というのは、LAメタルの盛り上がりに対して、15年前のパンクと同じように、もっとストリートに近い、リアルなロックを訴えたジャンルで、実は、その代表作、Nirvanaの「Never Mind」は、同じく91年の9月にリリースされていて、メタル全盛期の終焉は、実は既にこのとき始まっていた、という。
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サム・ダンが世界各国のメタル事情を取材したドキュメンタリー映画「グローバル・メタル」の中でも日本のメタル・シーンはちょっと特殊だ、と表現されているのだけれど、多分、この92年くらいまでにメタルを聞き始めた人たちは、普通に、流行の最先端を行くおしゃれな音楽として、メタルを聴いていたんだろうな、と言うのは、ちょっと上の世代の人たちと話していると、感じるところ。
「家いるとき何してんの? 音楽聴いてんの? どういう音楽? メタル? ああ、俺も昔、聴いてたよ」、みたいなことは本当に、よく言われる。
俺は昔のバンドも今のバンドも両方、聴きますけどね、というところで、会話がかみ合わない。
海外のミュージシャンのインタビューでよく言われることだし、サム・ダンのデビュー作「ヘッドバンガーズ・ジャーニー」でも言及されているのだけれど、ライフスタイルとしてのメタル、アウトサイダーのコミュニティとしてのメタルって感じは、この92年以前の日本で、どれだけ成り立っていたんだろう、とは思わされる。
俺なんかは、下に引用する「ヘッドバンガーズ~」でのロブ・ゾンビのこのセリフとかは、すっげーよく分かるんですけど、多分、こういうことに共感しないでメタル聴いてた日本人の方が圧倒的に多いんだ、と思います。
もちろん歌詞が英語だから、とか、日本におけるバサラ~ヤンキー文化とか、同調圧力の強さとか、そういう背景の違いはあるんだとも思いますが。
生き方みたいなことなんだよ。音楽でも、他のことでもそうだけど、普通の人は、ああ、それは1週間好きだったんけど、今は、もう興味がない、とか言うんだけれど、メタルは、メタルファンは永遠に好きなんだ。
俺は浮ついた人間じゃないし、俺が何かを好きになるときは、それはリアルで、浮ついた音楽じゃない。
「あの夏は、Slayerにめっちゃハマっててさ」とか、ありえない。そんなヤツは見たことないよ。胸にSlayerって彫り込んでるヤツなら見たことあるけどね。
アウトサイダーの音楽だし、テーマもアウトサイダーなんだ。俺も子供からアウトサイダーで、一人で遊ぶような子だった。
多分、そこから始まってるんだよ。俺は野球に興味はなかったけど、マンソン・ファミリーには夢中になってた。別にそれがカッコイイから好きだった訳じゃないし、カッコイイと思われたかった訳でもない。そんなのオカシな子供だって思われるだけだ。
誰もオカシな子供になんかなりたくない。ただ、いつの間にかオカシな子供になってしまっていて、どうしてかなんて分からない。メタルっていうのは、そういうもんなんだ。ただ、すべてのオカシな子供を一か所に引き付ける力を持っているけどね。
ちょうど今、ジェフリー・ムーアの「キャズム」も読んでいるので、この流行とライフスタイルについては、そのうちもう少しマトメて整理するかもしれません。
中小企業庁の支援事業活用を考える必要に気付くなど
市役所で産業振興の部署に長くいたクセに、すっかり存在を忘れていたぜ(笑)
経産省の新年度事業概要も在職中に見てたけど、自分が使うつもりで見てなかったので、後で一応、再チェックしないとだ。
とりあえず、中企庁のページ見に行って、創業者が普通に使えそうな事業は、主に下記3つかなー。
平成27年度予算「地域中小企業・小規模事業者UIJターン人材確保等支援事業」に係る事業者の募集を開始します
1番目は後で詳しく書く。
2番目の創業スクールは、新年度もパソナが引き続き受託して実施する模様。でも、去年、うちの県内でスクール実績ナシ(´・ω・`)
ま、うちの県には、中小企業大学校があるので、そこの講座に通えばいいけど(創業者向けに特化したのはないっぽいが)。
いや、体系的な知識を身に着けたいなら本を読んだ方が早いし、個別具体の疑問点の解決には同業者のところに相談、修行に行った方が確実だと思うんだけど、仕入れ先、潜在顧客の漁場、あるいは人間観察/マーケティングの場としてはもちろん、視野を広げる意味でもネットワークづくりの場として、こういう場所は一定の方向感を共有できる人たちがいるハズなんで、人が集まる場所には出てった方がいいかなー、とか思ったんですけどね。
3番目についても、別に人を雇うつもりはないし、雇うなら補助金が切れるまでに独立させるか継続雇用できるだけの成長率を確保できる仕組みが必要ってことだけど、とりあえず、どんな支援事業なのかすら見えてこない。
これもウチの県の事務局は、去年と同じところが内定されてるんだけど、去年の事業報告っぽいものもなし。あくまで、金融機関とかへの間接サポートなのかなぁ。
で、補助金。
製造業からサービス業まで広範に対象にしてるので、なかなか要らない補助対象経費とかもあるんだけど、設備費として事務所/店舗の改装費、備品費が認められてるのは大きい。上限3分の2、200万だから結構、初期投資を下げられる。
とは言え、26年度補正分が3月末で締め切られていて、こないだ国の予算が成立したんで、そろそろ27年度募集始まるんだろけど、間に合わなそう。
早くて週明け、遅くとも連休明け公募開始で、多分、公募期間1か月って考えると、そんな急には見積もりマトマラんだろなー、と。
…し、間に合ったら間に合ったで(2次募集あったとして)、その後、審査~交付決定まで月単位で足止めくらうのもアホらしいしなー。
どんぶり勘定でとりあえず通して、変更申請で対応OKとかなら、申請するだけしてみるのもアリなんだろけど、その辺の使い勝手も分からんからなー。
市役所で補助金出す側の担当もしたし、貰う側の仕事もしたけど、使い勝手ってのは、担当者次第なんですよねー。まあ、そこの組織の風土が担当者の姿勢に影響を与える部分も大きいけど。
結局は、制度よりも運用、という話になるのが日本の行政でして。
つまり制限速度60km/hの道路で、大半の人たちが61km/h以上出してるけど、特に事故とかなければ、滅多に取り締まられないし、罰せられない、というような世界な訳で。
補助金とかも何が認められて何が認められない、とか一定の基準はあるけど、広いグレーゾーン案件をどう扱うかは、結局、担当者が上司(を通じて、有権者)にロジカルな整合性を説明できるかどうかだし、そもそも、担当者がchiken shitで慎重な人で説明する気ない、とかだと、補助金なんか手間だけ掛かって、そのやり取りに係るレイバーコスト(と前述のようにタイミング)を考えたら、貰った方が損するパターンなんか、いくらでもあると思うんですよ。
とりあえずは、政策金融公庫とか地元の地銀、信金は相談に行くと思うので、そのついでに感触を測る感じでしょうか。
あー、地銀と信金、どっちをメインバンクにするかとかも考えなくちゃだなー。
2015/04/11 13:15追記
中企庁予算、26年度補正が50億、27年度当初が7.6億とか圧倒的に補正で出してた方が有利なんじゃーん。
と言うか、予算の組み方を見るに、26補正が一般向け直接補助で、27は支援機関向け補助のみって構成っぽいから、新規の公募はなさそうな気もする。
やまもといちろうさんによる組織論を興味深く読んだ/週刊プレイボーイ16号
やまもといちろうさん(@kirik)が、週刊プレイボーイ16号で木下斉さん(@shoutengai)と「地方創生」について対談してる件を、ご本人もブログで言及しておられる。
ま、それはそれとして、同号に載っている、同じく、やまもといちろうさんによる楽天イーグルスの話の方が面白かったっす。web版には、まだ出てないようですが。
正直、野球、特にNPBを見なくなって久しいので(それこそ田中マー君が甲子園出てるくらいまでしか知らん)、個別選手の状況がどうだとかは、全然、理解できてないのですが、ラストの監督の方針によるチーム編成論のところ。
(略)野村克也と星野仙一という球界を代表する指導者が長期政権で指揮を執った利点と難点です。 (略)両監督の時代におのおの選手としての基礎を固めた選手、コーチはボールの投げ方ひとつ、投球の待ち方ひとつとっても考え方が違う(略)
野村さんの場合、(略)待ち球が来なくて見逃し三振しなくても怒られることはありません。
片や、星野野球の方針は気合いと根性であり、野球は振らなければバットにボールは当たらないのであり、(略)見逃し三振はもちろん好ましくないと指導されます。
(略)見逃し三振すると怒られる星野野球に適応した結果(略)なんでも振っていき、なんでも当てられる素質を持った選手が、星野監督の下ですくすくと育ち、適者生存で生き残ったといえるのです。
(略)その方針ひとつで能力のある選手が才能を見極めてもらえずに伸び悩んでユニフォームを脱ぐことになったり、データ的にはさほど得点に貢献しないと予想される選手が上位打線に組み込まれ、凡退を繰り返してようやく気付いてオーダーが変更されたりということは、なるべくチームとしてきちんと避けていく必要があります。
うん。当たり前だよね。良し悪しは別として、そのときのリーダーに合わせられるヤツが生き残って、そうじゃないヤツは別の活かし方があるにしても、活用されない。そのためにデータをどれだけ活用し、客観的評価ができるか。いろんな組織に当てはまる考えだと思いました。
全国の市役所におかれましても、幹部のみなさんがどういう嗜好の持ち主で、どういう人材育成方針を根本的に(人生観として)持っておられるのか、それと社会から要求される機能との齟齬、機能していくチーム編成に必要な人材をどう発掘し、育成していくか、是非、お考えいただけると、地方創生が画餅にならないのではないか、と思う次第であります。
そういえば、やまもとさんのリーダーシップ論の本も前に買って、途中まで読んだままよく分からんと思って放置してたけど、読み直すかなー。
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俺もこゆ仕事しよかな(しません)/議会質問なんか業者に作ってもらえばいい
HYamaguchiさんのブログ記事。
H-Yamaguchi.net: 議会質問なんか業者に作ってもらえばいい
記事のリンク先は多分、ズレてて、こっち。
議員向けの有料サービス登場 議会質問「売ります」、地方議員「買います」 (産経新聞) - Yahoo!ニュース
地方議員向けに議会での質問を作ってあげるサービスがある、自分で質問を考えられないヤツが議員なんかやるなよ、嘆かわしい、という記事に対して、現実的な選択肢ですよね、という意見。
ま、市役所にいたときから思ってたことですが、地方議員のレベルが低い、と言うよりも、地方自治法を制定した時代とは、社会問題の複雑さ、解決に必要となる専門性が全然、違っているので、普通の議員さん1人で市の政策課題についてマトモに考えられるような時代ではない、とは思います。
たとえば、うちの街だと、議員さんの数と、部長課長の数がだいたい同じくらいで、で、部長課長側には、他に職員が複数いて、チームとして政策課題を検討している訳です。まあ、政策的に物事を考えられる職員が、どれだけいるか、つう問題はあるにもしても。
だから、市役所の外側にも、社会問題を考える政策集団がいて、その人たちが議員に知恵を貸す、と言うのは、全然、ありだと思います。市役所辞めた今、仕事か趣味かはともかく、そういう集団を形成したい、とは思っています。
実際、その地域の特性を踏まえているか、という課題はあるものの、中央にしっかりとしたシンクタンクを持って質問の指示が降りている感じの、共産党、公明党の議員さんは、割とマトモな、少なくとも議論になるような、質問をしている印象はあります。
現行の選挙制度は、立候補者の政策立案や検討能力を問うようなシステムになっていないのが現実で、選挙に選ばれやすい人と言うのは、全く関係のない資質なのだと思います。
自治体幹部職員との折衝能力は、一定の相関があるかもしれませんが(協力者、敵対者との駆け引き、という点で)。
だから、選挙で選ばれた人は、選挙で選ばれるに足る資質を発揮してもらって、政策課題の検討は別の能力を持っている人が担えばよい、というのは自然な発想だと思います。
むしろ、問題なのは、そういう質問代行サービスが、おそらくは、その地域、自治体をしっかり研究せず、コピペしたような、紋切型の質問を粗製濫造する、という展開が見えていることでしょう。
地方自治体周辺のコンサル、シンクタンクには、こういう事例が既に山積しているので。
地方を滅ぼす「名ばかりコンサルタント」 | 地方創生のリアル | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト
と思ったら、上記の記事の執筆者、木下さんが同じニュースに反応して、こんなtweetを既にしておられた。
その時々でイシューになっている地域活性化政策に関する議会質問集でも作って出していこうかな。実際に政策秘書とかシンクタンクを個別の地方議員で雇えているわけでもないんだから、単に質問代行ではなく、もう少し踏み込んで地方議員によるシェアシンクタンクみたいなものになればいいのかも。
— 木下斉/HitoshiKinoshita (@shoutengai) 2015, 4月 4
専門家がちゃんとみた議会質問を作りこんでいるのか、単に質問するネタを提供している程度なのか。やはりちゃんと専門性をもった政策に生きる質問ができるようにするには、単なる質問作成代行ではなく、無所属議員も多い地方議員が議会を越えてネットで専門家と質問を議論するのもありなのかもね。
— 木下斉/HitoshiKinoshita (@shoutengai) 2015, 4月 4
タイトルはブラフかなー/「日本の町工場は農業になる」 シリコンバレーに26年、製造業に携わる経営者が語る、日本の危機と可能性
ちょっとネットで数日前にバズってた記事。
感想は大きく3点あって、1つめは前段の日本のエレクトロニクス企業の衰退について、いわゆる日本の大企業病として、いろんな組織に通じる話だと思った。
前の職場とかね。
と言うか、日本のエレクトロニクス系大企業なんて、ウチの大学とか東大、京大出てるような優秀な人たちが大挙して在籍していて、戦略コンサルとかにも金払って、でも、従来の価値観に縛られて新しいことをやるべきときに、やれてこなかったのに、あれだけレベルが低く、論理的判断もまともにできない人たちを揃えたあの職場で、新陳代謝なんかできるんだろうか、という。
あるいは、逆に、そういう職場だからこそ、真っ当な刷新なんか、到底、できるはずもなく、ヘタに賭けに出るよりも、ただ自然に任せて沈没するのを待つしかないのかも、とも思った。
2つめと3つめは、関連していて、ちょっと言い過ぎ、と言うか、脅しすぎで、そう簡単に自動車産業は潰れないだろう、というもの。
特に、自動車は家電とかと違って、生命に密接に結びつく機械なので、それなりに規制も厳しく、新規参入の障壁は高い。
とは言え、文中に出てくる携帯電話市場と同様、だからこそ、日本企業が国内市場に慢心している間に、世界のスタンダードを取りこぼして気が付いたら後戻りできなくなっている危険性は、ある。
で、3つめは、だからと言って、部品加工系企業は即、海外に打って出るべきか、というと、語学の問題、スタッフ確保の問題、商習慣の問題、要求される合理的問題解決力のレベル差、とかを乗り越えていくコストを考えると、まだまだ国内でやっててもいいんじゃないか、という気はする。
自動車関連産業が縮小するとしても、国内異業種に解を求める方法もあると思う。
確実なのは、ティア1、ティア2みたいな階層があって、上から流れてくる仕事をこなしておけば何とかなる、という時代ではなくなるのだろうし、そうなると世の中全体がどう動いているのか、そのとき自社に仕事を発注している大元の企業は、どういう視点、戦略でどう動きそうか、自分たちはそこに追随するのか、比重を下げて新しい分野に打って出るべきか、という観察と分析は、しておく必要があるんだろうな、とは思った。
あと、タイトルの「製造業は農業になる」ってのも、どういう意味かと思って読んでたんだけど、補助金漬けで何もできない、つうのも言い過ぎかな、と。
多分、どちらも見た目上、モノを作るのだけど、ただモノ売りとは違う視点で経営を考えて新しい価値を生み出していく必要がある、という意味では同じ立場になるだろう、とは思うけど。
というわけで結局、市役所辞めました。
昨日、平成27年3月31日をもちまして、市役所を退職しましたので、お知らせします。
ここ数週間のエントリで、辞めそうな空気をご心配いただいておりましたが、
このエントリにあるとおり、
一旦、とあるオッサンに説得されて、もう一度、前向きに心構えをセットアップしようと思ったのは、紛れもない事実です。
でも、その翌週、人事異動の内示が出て、すっかり心が折れてしまいました。
このオッサンの言うところの、自分が仕事をしていく上での市長さんに対する信頼が完全に潰えてしまいました。
もちろん、引き続き、市長さんとしては立派な人だと思いますし、市民として応援したいとは思っています。
ただ、市役所が今後、どういう仕事を重視し、そのために、どういう人間、どういう資質を評価して、どう育成していくつもりなのか、を考えたとき、たとえば、上の一連のエントリや、こういう考え方のとおり
今まで自分に期待されている資質があるはずだと信じてきたけど、まったく期待されてないらしい、そこの部分の仕事は一切やる気がない、と気付いたのです。なので、ここは、自分たちのような人間の居場所じゃないな、と。
これ以上、個別具体の話に入ると、後ろ向きな話にしかならないし、別に、市長や市役所を批判してても、不毛だと思うし、その辺は、単純に価値観の違いであって、どちらが正しくて、どちらが間違っている、という問題でもないと思います。
と言うか、民主主義国の地方政府なのだから、市民に推戴された市長さんが正しくて、自分が間違っているんですよ。
後ろ向きではない、前向きな辞める理由を、以下に3点述べます。
産業振興でも今の仕事でも、今のうちの街に必要な事業だけれど、でもそれは市役所がやるべきではない、民間で誰かやんねーかな、と思ってた事業がいくつかあります。
で、誰かに人任せにせず、自分でやってみるタイミングなのかと思いました。
もちろん、今、それを誰もやってないのは、必要性に気付いてないからじゃなく、単純にメシ食ってくのが難しい分野だから、とは思っているので、キレイゴトばかり言ってられませんが。
2番目。
1番目とも絡みますが、地方創生とか言われてる中で、うちの街が人口規模の割にポテンシャルがあると思っているのは、うちの街が面白い街なのは、人に魅力があって、その人たちが出てくる土壌があるからだと思っています。
その土壌とは、うちの街には江戸時代から、侍でも農民でもなく、町人が仕切ってきた、という伝統があるからだ、と思っています。いまだに、協調性よりも、信念をもって自分の意志で物事を選ぶことが求められる社会、つまり、社長がやたら多い街だから、という仮説を持って生きています。
特に、創業者社長や、2代目3代目でも、社内創業、第2創業している、親とは路線変更していうような皆さん。
さらに、地域の人口を維持するために若い人が働ける場を増やすためには、統計的な産業構造論の視点からも、既存企業の業務拡大よりも、新規創業の方がはるかに有効なんです。
で、そう思ってるのに、自分がサラリーマンやってることの矛盾は、結構、気持ち悪い。
もちろん、新規創業企業の平均残存率とか考えたら、キレイゴトばかり言ってられませんが。
3番目。
これからの時代に、社会が確実に流動化していく中で、市役所が終身雇用の組織であっていいんだろうか、という仮説を持っています。もちろん、社会の流動化に対峙するために、ますます終身雇用の必要性が高まる可能性もあります。
でも、選択肢として、いつでも辞められる、というオプションを持てる世界であった方が、よりよい社会なんだろう、と思います。
本当は、市役所の仕事に違和感を覚え、時代の変化の中で自分のスキルをもはや市役所では活用できない、と思っているのに、他に生きる道もないから仕方なく市役所に残る、という人たちを養えるだけの体力は、市役所には残らない、と思うので。
どうにも、市役所辞めたら負け、職業変更したらアウト、みたいな空気がありますが、優劣ではなく、単純に向き不向きの問題で、そして、求められる資質は、時代の変化とともに時々刻々と変わっていくのだから。
理想は、自分がこれから起こすことが、市役所辞めたい人を雇えたり、独立創業支援できるような受け皿になれれば、とも思っています。とは言え、まずは何とか先例として食っていけるレベルになれるかも分からないような状況なので、キレイゴトばかり言ってられませんが。