インクとソクラテス
なんか、ここ数日、SNS上でインク商法が炎上してるなー、と思ったら、発端はこの辺の記事がバズって
で、さらに、netgeekで火力強化という、いつものパターンか。
面倒くさいんで動画見てないけど、別にカートリッジの残量すべて使わせないのがケチだとも思わない。環境負荷的な話は、また別として。
タンクの構造的に全部を出せない、とか、全部出すとハードに負荷をかける、とか、そこまで配慮すると生産コストが高くつく、とかは、普通にあるんじゃないかなー、と。
netgeekが価格比較するのに本体はカカクコム(安い下限値)使って、インクはアマゾン(下限値か不明)と定価(一番高いに決まってる)というのも、まあ、何なんでしょうね、とか思うし。
とは言え、netgeekの記事で指摘しているとおり、ジレットの替刃カミソリに始まって、家庭用ゲーム機のハードとソフトや、携帯電話の本体と通話料のように、インフラを安く提供して利用料で儲ける「インク商法」というビジネスモデルが現代社会に適合していけるのか、という課題は興味深いところ。
もう少し、個別の企業がどこの部分でどのくらい対価を得ているのか、ということを納得、共感できる(騙されていない、不当に搾取されている訳ではないと思える)ビジネスモデルが必要とされているのだろうな、と思います。
合法かどうか、とか、定められた手順に従っているかどうか、以上の行動を求められている、少し面倒くさい世の中が広がっている。
それは別にSNSの普及で批判が拡散しやすいから、とか言うよりも、成熟した民主主義社会、というのは、そういうものなんだろう、と思うし、むしろ、SNSを開発した人たちや利用する人たちも、そういう社会を志向しているからこそ普及しているのだろうし。
民主主義は、理性ある大人の思慮深い判断を前提にして、議論と説得が可能な社会システムとして理想視されすぎているように感じている(一部のインテリの人たちは、そう信じている、とたまに思う)んです。
けれども、実際は、人間は、そんなに立派な生き物でもなくて、感情に振り回されたり、その場の思い付きで行動したりする、と言うのは、ソクラテスの時代から分かり切ったことで。
だから、プラトンは少数の天才に支配を委ねる哲人政治を志向し、アリストテレスはマケドニアに逃れたのだろう、と思うのですが(いや、プラトンの著作を真面目に読んだことがほとんどないので、完全に推測なんですけども/笑)、そんな天才はやっぱりいないよね、うちらアホはアホなりに民主主義でやっていくのが一番いいよね、というのが結局、ソヴィエト共産主義/テクノクラシーの崩壊を見た後の一周回った結論じゃないか、と個人的に思う訳です。
アホばかり集まってる社会では、民主主義は理想的な社会システムとしてなんか機能しないけれども、民主主義以上のシステムもやっぱり存在しないから、うちらみたいなアホはアホなりに共感とか納得感みたいな非論理的な価値を大切にしながら、民主主義社会の中で暮らしていくしかないよね、と。
なお、個人的には、こちらのマトメ記事で出ている通り、もはや家庭用プリンタなんて、自動車なんかよりも余程、所有するものではなく、シェアするべき装置の1つで、コンビニのマルチコピー機でよくね?、と思うのですが。
あと、エプソンさんをもう少し擁護しておくと、より無駄なく使える詰め替えボトルの開発を進められているようですよ。8月の記事ですが。