改めて地方活性化とは何なのか/こばやしたけし「地方は活性化するか否か」
このところ文献を渉猟したり、読んで思ったことを頭の中で整理したり、それをこのブログに書き留めたり、ということが滞りがちで、ちょっといけませんね。これから独立創業者になるにあたり、自分のタイムマネジメントと言うのは、経営者が管理すべき資源の中でも最も重要なものと思われるので。なるべくルーチン作ってしまって何時までに何をする、と決めてしまうのがいいのだと思いますが。
で、こないだ東京に行く用事があり、帰りの新幹線の中でさくっと表題の「地方は活性化するか否か」(公式略称、ちかすい)読破しました。
※行きの新幹線で読み終わった本は時間をかけすぎて前半の詳細を失念しているので、考えをマトメきれない、、、
マンガだし、個人的には、原作となったブログでの4コマ版も全話既読だし、また、3月末まで当該分野に従事していた者でもあるので、すらすら読めました。
一般の方、ただ単に今、地方都市に住んでいて(移り住もうと思っていて)、この先、自分の生活や子供たちの生活はどうなるんだろう、と漠然と不安に思っているような方が読んでも、今の地方都市で問題となっていて、少なくとも一市民としてのレベルで考えるべき論点は、網羅した上で、マンガ形式で分かりやすくマトメられていると思います(地方行財政とか、そういう政治家や行政職員が考えるべき論点は、他にもあるけど、そういうのは活性化の後から付いてくるもの、と市民レベルでは考えておいていいのでは)。
作者のこばやしさんには新聞記者のお知り合い等がいて情報提供を受けていたそうですが、とは言え、これだけ網羅的に書かれるからには、相当、勉強、取材されたのだろうな、と思います。地方都市の市役所職員でも、ここまで論点を整理できている人は決して多くないし、市役所職員(や受験希望者)は結構、読むと勉強になるのでは。
オリジナルの4コマ・ブログは、ブログ形式という特性上、一気読みしようとすると、ページ遷移が面倒くさかった記憶があるのですが、本、かつ4コマベースの起承転結のテンポを残しながらストーリーマンガとなっているので、その点も、さくさく読めます。
なお、この本を読んで、改めて考えさせられたのは、「地方活性化」とひとくくりに言っても、この本で扱っているのは、あくまで、こばやしさんがお住まいで、マンガの舞台である「みのり市」のモデルとなった、秋田市、人口30万人程度の地方都市(いわゆる「中核市」)の問題だ、ということ。
これより大きい政令市は中心部には同じような問題を抱えていても、郊外ベッドタウンとの兼ね合いがもう少し複雑なんだろうと思います。
また、人口規模がもう少し小さい街には少なくとも2つのパターンがあって、ウチの街のように、明治以前からの旧市街(ほぼ徒歩圏の集積を持つ市街)を温存している独立都市と、大都市の郊外に明治以降発達した衛星都市(ベッドタウンや工業地帯)の場合で少し様子が違いそうです。
うちの街の場合は、小さくても「みのり市」とだいたい同じ構造だと思っていますが、たとえば、駅前に中心が移る前に自動車化が進んでしまったので、旧市街と中心市街地はほぼ同義語ですが、そこは駅前商店街とは一致しないんですよね。うちらは、そういう微妙な差を1つ1つ整理して取り組んでいく必要があるだろうと思います。
また、さらに小さい、平成の大合併でやっと市になったり、近隣の都市に吸収されたような農山漁村部でも、問題は少し違うのだろうと思います。ウチの街にも昭和・平成の合併で一緒になった自動車圏の郊外部が存在しますが、それらの地域にお住いの方が、この本を読んだときに、自分たちの問題として的確に置き換えられるのか、ちょっと想像がつきませんでした。
そういった縁辺の農山漁村の問題を、地方都市民が切って捨ててしまうと、では、地方都市も捨てて、東京だけ残ればいい、という思考と同じではないか、という話になりかねないなー、と。
地方都市は生き残れるのか。
個人的には、都市とは何かと考えれば、不特定多数が一定の頻度で物理的に顔を合わせられる空間(顔を合わせることで、意見や情報を交換し、協働して新しい事業に取組める空間)であることが都市の強み、存在意義なのだろう、と、今回、本書を読んで改めて思いました。
そうなると都市は、人口が少なすぎても(メンバーが固定化しがち)、多すぎても(任意の再会頻度が低く、結局、メンバーが価値観によって固定化されがち)、あまり活力を生み出さず、市域の広がりや集積部へのアクセス性も踏まえた、適切な規模、というのがあるのだろう、と思います。と言うか、それを信じてやるしかないのかな、と思った次第。
最後に、改めて、この75話前後の展開はいーはなしだなー、と思いました。がんばります。