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日々の仕事に必要な調べ物の結果や個人的見解を備忘録的に書いておくと他の人に役立つこともあるかも、くらいのノリで。対象範囲は人口構造、社会保障費、都市計画、行政運営、地方自治あたりになろうかと。

新しいことを考えるための生活習慣、的な話。/J.W.ヤング「アイデアの作り方」

 

アイデアのつくり方

アイデアのつくり方

 

  1940年にアメリカで初版が出た後、61年に日本語版が出て、以後、まえがきや解説は変更されつつも、本文は変わっていない、という本。

 元々、広告代理店のスタッフが新しいキャッチコピーを考えるための本、というか、広告とはスペースを売るのではなく、アイディアを売るのだ、という思想に立った本ですが、別に、広告業界以外のいろんな分野でも、基本は同じことだと思う。

 

 冒頭、筆者は2:8の法則のパレートを援用して、アイディアを出せる人間と、出せない人間の2タイプについて考察する。

 パレートはスペキュラトゥールと、ランチエという2タイプ、つまり、Speculative、投機的・思索的な人と、株主の2タイプに分けられるのだという。

 

dictionary.goo.ne.jp

 

 スペキュラトゥールは、「新しい組み合わせの可能性につねに夢中になっている」という特徴を持ち、「もうこの辺で十分だとうち切ることができないで、どうすればまだこれを変革しうるかと思索する」人たちだという。

 一方、ランチエは「型にはまった、着実にものごとをやる、想像力に乏しい、保守的な人間」だという。

 

 ヤングは、スペキュラトゥールが新しいアイディアを生み出す人には不可欠な才能だとした上で、それは稀有な才能ではない、という。

 「神の申し子である人間がすべて翼を持っているわけではないにしろ、諸君のすべてがその翼をもつ人間の一人でありたいと望みうる程度には多くの人々がこの翼を持っているわけである。」

 

 以下、ヤングは本書を通じて、アイディアを作ることに興味を持った時点で、その才能には可能性があり、訓練を通じて、それは高められる、として、具体的な方法論を説明していく。

 

 …のだけど、自分は明らかに、スペキュラトゥール側なので、「うん、それ、普通にやってる」という内容でした。

 もちろん、「もうこの辺で十分だとうち切ることができない」人間なので、その方法論をより精緻で効率よく進めるために、得るものはありましたが。

 

 で、この本、先週末には読み終わっていて、アイディアを作り出す人間と、保守的な人間という2タイプの分け方は、その前の週のエントリ、あるいはそのまた前のエントリにも関連して面白いなー、と思いつつも、わざわざ新規にエントリ起こすほどでもないか、と思っていたんですね。

 ところが、この1週間、ちょっとバタバタといろんなことが起きて、そのときに、この本を読んで2つのタイプの在り方を考えていたことが、判断の重要な指針となったんで、次回への伏線として、一応、残しておきました。

 

 ま、激動の一週間について書く前に、もう1個書くかもしれないですが。

日本の深い闇・・・/岡村佳明「看板のない居酒屋」

 

看板のない居酒屋

看板のない居酒屋

 

 

 なんか、もう少し経営戦略とか、マーケティング、ブランディング的な話を期待して読み始めたんだけども、まあ、サブタイトルが「繁盛店づくりは人づくり」ということで…。

 そして、人づくりを前面に掲げる、という視点には、明確なブランディングの意識は感じるんだけど…。

 

 言及すべき点は、主に3点。

 

 地方都市で多店舗展開している経営者なのだから、この本で書かれていないことも、それなりに考えながら事業経営しているハズだし、本の端々にも本題とは関係ない、そういう意識は、感じられる。

 なので、実際に店に行ってみたりとか、その辺の話を別に本を書かれるのなら、読んでみたい、とは思った。

 

 二点目として、すげーキモい。

 自己啓発系。ブラック企業。カルト宗教。洗脳。

 なんか、居酒屋甲子園系統のニオイ…とか思ったら、本文でもそのイベント自体に言及する箇所もあるし、本文中でマインドセットの神様みたいな扱いされてる人をぐぐると、居酒屋甲子園を立ち上げた人とも、そこ経由でつながってるっぽい。というか、そこ関連の出版社らしい。

 

 そして、3点目。

 自分は、こういうヤンキー的な発想は大嫌いだけれども、でも、マイルドヤンキーのバズワードぶりを持ち出さなくても、こういう世界観が日本では広く受け入れられている、という現実はある。

 それに、雇う側の立場で考えたら、確かに地方都市で、若い子たちに職を与えて、メシを食わせていくためには、こういう方法の方が確実で手っ取り早い、という現実もあるのだろう。大半が、学校の勉強なんか好きじゃなくて、ロジカルに物事を捉えられる子たちではないだろうから。

 そして、また、仮にインテリであっても、ビジネスの現場では、最後は、イチかバチかやってみるかやらないか、という場面が重要で、そこで思い切った決断をしていくためには、こういうマインドセットは、確かに重要なのかもしれない。

 

 こうしてみると、日本て、体育会系、意識高い系、ヤンキー系と根っこが同じ問題が深いところに脈々と流れていて、確かに、欧米的な民主主義、自由主義の転換点を迎えている今、こういう日本的価値観を世界に売り出すのも、方法なのかもしれませんね。

 

 僕は嫌いですけど。

 

2015/03/22 16:51付記:

 そうそう、地方都市の主な消費層がプチヤンキーだとすると、そこのターゲットを見定めて、そういう客を集めるためのアイコンとして、それらの層から見てカッコイイ/カワイイ店員を揃える、ってのは、ブランディング的に、すごく大事だと思う。それで、そういう店員をつなぎとめ、戦力として育てる最適な手法が、ポエミーな自己啓発だって可能性は、充分、納得できるんだ。

 嫌いだけど。

市役所を変えていくということ

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 こないだのエントリを書いた後、その足で、そもそも自分を市役所の試験を受けるように勧めてくれた人のところに会いに行ってきた。

 自分としては、「おう、そうだろうそうだろう、そろそろ、そう言うころだと思ってた」くらいで返される、と思っていたら、「そうだからこそ、お前が市役所にいるべきなんだろう」と全力で否定されてしまい…。

 こちらは反対されるとも思ってなかったので、反論への反論もたいして準備していなかったので、「はあ、そうですか」とあっさり説得されて、帰ってきた。あっさりと言っても、都合4時間以上、話をしてきたけど。

 

 一応、その人に言われた主な話は次のとおり(この順番に言われたって意味じゃなく、4時間の中で同じテーマが何回も繰り返されたのだけど、論理的に整理しやすい順に再構成しています。向こうに一方的に諭されてるだけじゃなく、こちらの意見に向こうが同意して、さらに深掘りしてくれたような話も全て向こうからの話として構成しています)。

 

・民間企業でも、主流派に新しいことはできない (←なるほど)

・既存の価値観に染まっていると、過去を肯定するしかできないからだ (←同意)

・しかし、新しいことを起こさないと組織は停滞する (←同意)

・たとえば、うちの会社は○○屋だったが、○○なんてもう売れません、そんなのヤメて、これからは××を売りましょう、と言ったのは中途で採用した人間だ (←なるほど)

 ・今まで会社でやってきた連中は、「うちは○○屋だぞ、止めてどうする」と思う (←なるほど)

・しかし、○○の市場は縮退しているのは明らかで、そこにこだわったら会社自体の存続ができなかった (←なるほど)

・新しいことをやるのは、途中で入ってきた人間だったり、女性や変わり者とかの組織の傍流にいる人間だ (←なるほど)

・新しいことは主流派には理解されない。妨害すらされる (←なるほど)

・それを守るのは、トップの仕事だ (←なるほど)

・あいつらは俺が認めてやらせてるのだから、外野がぐだぐだ言うな、あいつの意見は俺の意見だ、と黙らせる必要が社長にはある (←なるほど)

・もちろん、新しいことは全てが上手くいくはずがない。失敗するものの方が多い (←同意)

・それでも任せることができるか (←同意)

・中には、変わった人間を育てようとしても芽が出ない、悪い芽になることもある。それは摘む必要がある (←なるほど)

・市役所の場合は、中々、途中で辞めさせることはできないが (←同意)

・だが、君はまだそこまで悪くないのじゃないのか (←だといいのですが…)

 

・しかし、市役所の人間というのは自分で考える、ということを知らない (←同意)

・上から言われたことだけしていればいいと思っている (←同意)

・それも、ある意味で仕方がないことで、市の職員は民意を背負っていない (←同意)

・民意を背負っているのは、市長一人だから、その指示を待つ (←同意)

・議会も失敗ばかりをあげつらって、よいことを褒めない (←同意)

・大過なく過ごせば年齢とともに昇進できて、成功するかどうか分からない事業に挑戦しても評価されず、失敗すれば非難される (←同意)

・それでは、新しいことを自分で考えてしようなどとは誰も思わない (←同意)

 

・確かに、市役所の仕事の8割か9割は、安定性が必要な仕事だ (←同意)

・しかし、1割か2割は新しいことをしていく必要がある (←なるほど)

・その1割か2割の仕事をするのだから、君はマイノリティなんだ (←そーですか…)

・市役所の主流派、幹部職員は特に新しいことに否定的だ (←同意)

・それはヘンなヤツが偶然、市長になってしまったときに、市役所をかき回されないために必要なことだ (←同意)

・彼らはある意味で職務に忠実と言える (←同意)

・だが、それでも新しいことを起こしていく必要がある (←それ、俺の仕事ですか…)

 

・新しいことを幹部職員に諮れば、それは否定される (←同意)

・それならば、直接、市長に諮ればよい (←そうですか…)

・市長の同意を得ています、と進めればよい (←そうですけど…)

・もちろん、そんなことをしていると、勝手に話を進められた彼らは面白くない (←だからさ…)

・ますます邪魔をしようとするだろう (←ですので…)

・そこで君らを守るかどうかは市長の仕事だ (←そうですか…)

・君の提案が正しくても、幹部職員に諮ったらつぶされる。それでよいのか。正しいことを実現するのが、市役所のため、市民のためではないのか (←そうですけど…)

・だったら、手段を選んでる場合ではないのではないか (←そうですけど…)

 

  というような話をしてきて、印象的だったのは、以下の3点ですかね。

 

1) 市役所での新規事業のありかた

2) 市役所での自分のポジション

3) まちにおける市役所のありかた

 

 1については、今の部署に異動してきて、まず思ったのが、「人事権も予算編成権も事業の決裁権もなく、人員もいないのに、何をしろって言うの?」という話。

 前職の産業振興部門では、業界団体や外部の支援機関があったので、市役所が動かなくても彼らを説得すれば、予算も人員も気にせず、事業を立ち上げることができたし、そのうちの1つの団体は事実上の事務局も兼ねていたので、それほど大がかりな事業じゃなければ、まあ、動かせた。

 あるいは市役所内部の調整が必要なことも、他部署との横の連携はほとんど必要なかった上に、比較的、上司が市長まで上げてくれるか、もしくは業界の声として直接、市長に上げることができた。

 ただ、なるべく業界の動きとして上げていたのは、市役所内で直接、上に上げることの危険性があって、「あいつは市長に気に入られてるから許される」みたいな個人的、属人的な仕事だと批判を免れないし、組織的な動きにはマイナスになることもある。

 そこは、組織として確立する必要がある、と思う。

 うちらの仕事を本気でやるなら、うちらに権威と権限を公式に与える必要があるんだろう、とは前々から思ってた。

 

 もちろん、上の話にも出てきたとおり、権威と権限を与えて失敗したときのリスク回避として、それらの人間を取り除ける仕組みは必要だし、たとえば任期付きの職にするか、成績評価による異動とかを制度化する必要があるのだと思う。

 

 この辺りまでは、この2年ずっと考えていたことで、むしろ、この日の話で、大きな気づきは、多分、公式な職位にしても、主流派からは疎まれ、妨害されるんだなー、と(笑)。

 

 2番目については、今の市長と、この人と、自分との3人の間で、市役所内での自分の立ち位置をどう見るか、というのが結構、違っていて、中々、気付かされるところがあった。

 自分では、前回も書いたように、自分の仕事の仕方こそが、これからの市役所に真に必要とされるスキルで、至って王道を歩んでいる、と思っている。特に、うちの街のアイデンティティを考えたら、市役所職員と言えども、こうあるべきだ。

 一方、今の市長と時々、話すときに説教臭く言われてきたことは、自分の能力を市長には認めてもらいつつも、自分が傍流でいつづけてるのは、「主流派に認めさせる努力がお前は足りない」、という話だった。この態度には、いつも、すごく不満があって、「あいつらなどアホだし、一生、俺の価値を理解できないし、理解させるために、へりくだる気もない。なぜなら、こちらは徹頭徹尾、論理的に正しい主張をしており、それを感情論で反対しているあいつらがバカなだけだからだ」と、ずっと思っていた。

 で、この人と自分とでは、「市役所の主流派には永久に理解されない(仕事を真面目に取り組めば取り組むほど)」という点で、意見が一致したのだけれど、「それでも、お前は(正道ではなく)マイノリティで、マイノリティであることに価値がある」、という視点は、中々、斬新だった。

 

 3番目については、この2番目の視点とも関連するのだけれど、市役所の主流派になれないのであれば、市役所に残る必要はなく、市役所の外から発信すればよいのでは、という前回の内容について。

 誤算だったのは、この人は自分を市役所に誘った張本人であり、今も春の地方選挙に向けて動いている最中の人で、やはり地方政治というものを、ある程度、重く見ていて、市場の力とはまた別の必要性を感じている人だった、という点です。

 それは、世代的なこともあるのかもしれない。

 ある地元の有力女性で、前の部署では顔と名前は知っているけれど、あまり絡むことがなかった人がいて、今の部署に来てから色々と気にかけていただいているのだけれど、その人と話したときにも、少し違和感があった。これだけ社会が豊かになり、人が選択肢を持った社会では、従来の民主主義は機能しないのではないか。

 21世紀の日本では、それほど行政の力など必要ないのではないか。

 この点については、もう少し自分の中でも精緻に理論を組み立てて、この人たちにぶつけてみる必要があると思った。

 

 なお、今日、その有力女性が職場に顔を出された帰り際、「聞いたよ。あんまり心配させんなよ」と言って行かれた。もう話、伝わってるのか。早いな! 

 

市役所に入ってやろうと思ったこと

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  どういう仕事を選ぶか考えるときに、自分のやりたいこと(will / would)、できること(can)、やるべきこと(should / must)の重なりを考えてみる、って話がある。

 そういう視点で考えても、まあ、市役所受けてみようかな、と思ったのは、多分、長期的な視点に立って根本から物事を考える、ってことをしたら、街のために貢献できるんじゃないの=お金を貰うに相応しい働きができるんじゃないの、と思ったからって部分が結構、強い。

 

 個人的には、市場原理を信じている。

 でも、「朝三暮四」って言葉があるとおり、人間はそんなに頭のいい生き物じゃない。目の前の利益や感情に流されて、長期的、合理的な利益を捨てることがある。

 大学時代も研究室では、民間企業ではできない、実用化まで時間が掛かる長期的な研究をしよう、という先生だった。

 趣味の音楽とか映画でも、優れた才能を持ちながら、さっぱり売れない人たちはいた。それで、売れ線にすり寄った結果、自分たちのアイデンティティを見失ってしまってファンが離れていったり、あるいは生活のための仕事が本業となって忙しくなった結果、活動が停滞していくのを、何人も見てきた。

 

 だから、日々の生活に流されて、長期的な課題を見失いがちな普通の市民の人たちに対して、社会問題の専門家として、長期的な課題を提示し、改善策を提案する仕事という意味での市役所の仕事、というのは、やる価値があると思った。

 

 そういう長期的な視点に立って物事を考える仕事は、よく言われることだけど、日本にはちゃんとシンクできるシンクタンクは存在しなくて、大学か行政くらいしかない。後は特定の民間企業の研究開発部門だけれど、すでにうちの街に帰ってきてた自分には、ハードルが高い話だと思った。そして、うちの街には大学もない。

 

 なので、長期的視点に立って、社会に質問を問いかける、という仕事としての市役所は、まあ、やってみよう、と思った。

 

 具体的には、特に市場に近い産業振興分野で、1つは既に優れた製品を持っているけれど売れてない企業と一緒に、全国、全世界にプロモートしていく、という仕事があるだろうし、もう1つは企業の経営者に対して目の前の利益だけを追求するのではなく、社会変化を先取りした経営戦略を一緒に考えていく、という仕事があるだろうし、また、地域の住民、特に若い世代に対して、大会社で知名度はないかもしれないけれど、そこそこ面白い仕事をやれる企業がうちの街にもあることを示していく、という仕事もあるだろう。

 このうち3番目は、王道で学校と連携しようとすると面倒くさい、ということだけは分かって、まあ、どれだけやれたか分からない。

 

 で、別に市場に直結してる分野じゃなくても、今のまちづくりっぽい分野でも、やらせてもらってるのは、10年、20年後をイメージしながら、今、やっとかないと将来、大変なことになりますよ、それでいいんですかって呼びかける仕事だ。

 

 ただ、やってて思うのは、うちの市役所の組織上の問題(今いるポジション上の問題)なのかもしれないけれど、課題を明らかにして、いくつか解決策を示すところまではできても、そこから実際に社会を前に進めるために、直接、呼びかけて人を動かす力は、やっぱり弱い。

 この点で、今後、大学や研究機関でも、研究業績を社会に反映させていくために、そして社会からのフィードバックを得てより研究の精度を高めていくために、社会との接点をどうやって持ち続けるのかって課題が出てくると思う。

 

 民間で直接、事業を起こさないと世の中は変わらないんじゃないか、と思ってる。

 そして、もう1つは、最初に戻って、自分は市場原理を信じていて、それは人間の愚かさゆえ、なのだけれど、いくら自分が専門性を持って冷静に長期的視点から物事を考えられる、と言っても、その答えは絶対ではない。

 ちょっと矛盾があるようだけど、長期的視点に立った提案は、市場では正しく評価されないかもしれないけれど、やっぱり複数の提案の中から、市場に晒されるべきだと思う。

 その意味で、うちくらいの街で、たった一人の担当者しかいず、その一人が思いついたアイディアで街を拘束するのは危険だと思う。

 市役所内の合議システムは、市場や民意とは真逆の、そして自分一人で考えるよりもはるかに質の悪い意思決定手段で、全然、機能していない。

 正しく民意を反映する仕組みとして、市議会なんて全く機能していないし、市長は、うちの市長は割と、自分を通して、民意と担当を精緻に対話させようとする人だけど、ときにはやっぱり担当として、市民として、「何だかなー」、という判断もある。一人の人間が決めることには限界がある。

 

 そして、市役所に9年いて、長期的な課題を考える人材として、あまり市に貢献できてないかもしれない、と思う最大の理由は、その市長を除いて、「長期的な視点に立って課題を考え、市民と対話する」という活動を、そもそも重視している職員に、ほとんど出会わなかった、ということです。

 特に、市役所の方向性を考える総務系の部門の職員には、上から下まで一人もいるとは思わない(まあ、下、若い子たちは少しは意識があるみたいだけど、彼らには上を説得する力がまだない)。

 市長は考えていると思うのだけど、ただ、同時にそういう総務部門の人選をし、総務部門にそういう仕事をさせているのは、市長の権限なので、結局は、彼がこういう市役所の在り方を肯定している、という結論に至る訳です。

 そして、去年の秋に市長選があったとき、他の候補者は立たず、おそらく立ったとしても勝てないだろう、という理由で立たなかったんだろう、という現状を思えば、こういう市役所の在り方を、そもそも市民が民意の総意として肯定している、ということだと思う訳です。

 

 市役所が自分の貢献できる場所ではないのなら、街に出て、小さくても自分で事業を始めた方が、少しでも確実に街に貢献できるのかな、と思うんですよ。

 もちろん、長期的視点に立った提案を行っていくので、それ単体でお金を貰うことは難しく、何か分かりやすい短期的利益を提供しながらの提案になっていくと思います。その分、長期的視点でものを考える余裕は、時間的にも精神的にも削られるかもしれない。

 でも、まあ、市役所で9年仕事してて、本当に、その物事を深く考える、って作業は、自分の本能に刷り込まれた資質なんだろう、と思うし、考えることは止めないと思うんですね。少なくとも、今の市役所の大半の人たちよりは、他の仕事をしながらでも、十分、マシな考えを持ち続けるんじゃないの、とか思うんですよね。

この際、新潟県独立しようぜ(無理)

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 四方を海と山に囲まれた新潟県民です。

 出張や旅行で、東京と埼玉、神奈川、千葉の県境とか、愛知と岐阜の県境とか越えるときに思うのは、川って昔は地理的な分断ラインだったんだろけど、いまや橋が十分に架かって生活圏としては、そりゃ一体化するよね、ということです。

 もちろん、新潟県内にも、信濃川阿賀野川ってデカい川があって、そこは昔の村境どころか、郡の境ですらあって、方言も微妙に違ってたりするんですが、今や生活圏としては一体化してたり、場合によっては市町村合併で同一市になってたりします。

 

 で、川を越えたら方言が違うレベルで本来、もっと複数県に分割されてもいいくらい、新潟県は面積もデカい。

 ので、本当に他県に行く、という機会が現代でも非日常レベル(というか、佐渡にいまだに行ったことない)。

 

 だから、道州制の議論とか全然、ピンとこない。

 

 そもそも、電力は東北電力だし、中学・高校スポーツは北信越だし、国土交通省北陸地方整備局北陸信越運輸局だし、総務省信越総合通信局だし、国税局は関東信越国税局だし、経済産業省は関東経済産業局だし、いったい、どこの道に入るの?

 というか、歴史・文化的に、一番しっくり来るのは北陸なんだろうけど、いまや京都の中心性がないし、海上輸送にも縁がないから、冨山、石川とか全然、用事なくて、日常の生活で考えたら、上越新幹線沿いの群馬、埼玉、東京の方がまだ接点あるよ。

 そういえば、コカ・コーラは新潟、群馬、埼玉で三国コカ・コーラだよ…と思って、引用しようと見に行ったら、今は経営統合して、消滅したみたいだけど。

三国コカ・コーラボトリング - Wikipedia

 

 で、そんな流浪の新潟県を象徴するかのように、「全国都道府県間産業連関表による地域間産業連関構造の分析」って論文を読むと、やっぱ新潟県の独立度、高いなぁ、と。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/srs1970/34/1/34_1_139/_pdf

 

 p.145に各都道府県の投入割合って表があって、ナナメ読みしかしてないけど、多分、地域内で生まれた資本をどこに再投下してるかって表で、軒並み地元へは5割前後(それでも5割ある、というのは今の地方創生の論点で十分考えるべき)。

 これに対して、新潟は63.4%で、北海道、東京、沖縄の7割には及ばない、とは言え、愛知、大阪、広島、福岡、宮崎、鹿児島に迫る割合。

 もちろん、これは経済の独立性を示しているけれど、逆に言えば、閉鎖性も示しているから、東日本が軒並み低いのに、西日本、特に九州が高いことが、いいことなのか、という議論の余地はあると思う。

 理想的には、外から稼いできた金を地元に落とせてる結果、地元投入が高ければよいのだけど、単純に外との交流がなくて経済規模が小さい(金を外に持ちだしてない代わりに、外からも引っ張ってこれてない)可能性も十分にある。

 

 なので、新潟が東日本にあっても他との接点少ないから、と言って、道州制を導入したとき、新潟単独路線を選べるほどの規模感ではないんだろうな、とは思う。

 少なくとも、愛知の東海、大阪の近畿、広島の中国、福岡の九州みたいな核となる県を持った地域の集約が進んだとき、存在感はますます薄まるだろうから。

 

 なお、この論文だけでは、見えてこないと思った点が2点。

 1つは、この論文が対象にしている統計データが1995年、Windows95リリース年、ということで、Amazonとかのネット通販の台頭はもちろん、企業の地方支社管理や出張なんかにおけるIT化によるコスト圧縮とかの影響が、この20年でどのくらい進んでいるのか、という興味はある。

 IT化で都道府県を超える経済活動が活発になった結果、一部のコア都道府県への集約は進んでいても、より地元に投入できる地方が増えている、あるいは地方でも他県からの投入が伸びている、という気は全くしないけど。

 

 もう1つは、新潟県はデカすぎて本当は県内各市の比較も見たい。ただ、多分、作業量とかの前に、市町村レベルに落とすと、取れないデータが多すぎると思う。なので、ある程度、大きいくくりでノイズを減らす必要を考えると、そこは都道府県レベルかとは思います。

数学科の男

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 本来であれば、このブログのテーマに沿う話ではないのだけど、まあ、さっき結婚ネタ書いたので、勢いだけで書く。

 

 こないだ、高校のときの友達と久しぶりにメシを食ったんですよ。全部で6人。とは言え、うち2人は、この日のこのネタに限らず、コミュ力が絶望的になく、ほぼ空気と化しているので、気にしない。1人は、普段から気を遣いすぎる男で、その反動なのか酒が入ると意味のある発言は一切しなくなる、という意味で存在価値がやはりないので、気にしない。

 残り3人は、機械工学科出身公務員の私と、電気工学科出身でメーカーの回路設計技術者の男(既婚)、そして、この話の主人公である数学科出身でメーカーの総務系の男。

 

 数学科に彼女ができた。両親は、お前と付き合ってくれる女の子なんて、もう一生現れない、彼女の気が変わる前に、とっとと結婚してしまえ、とうるさいらしい。

 

電「まあ、あせる必要はなくて、自分のタイミングで決めればいいと思うよ。ただ、記念日は覚えやすい日の方がいいよね。忘れると大変なことになるから」

数「覚えやすい日ねー」

機「ああ、3月14日とかね」

数「なんで、ホワイトデー?!」

機「バレンタインのお返し、的な。いやいや、お前、数学科だろ、3.14って言ったら、円周率だろ?」

数「なんで、円周率?!」

機「別に、ヒトヨヒトヨニヒトミゴロとか、フジサンロクオームナクでもいいと思うけど」

数「ルート?」

機「覚えやすいじゃん。で、円周率だと、円にまつわる数字で、しかも、繰り返しがなくて、ずっと続く、的な。さすが、数学科!」

数「なるほど、、、」

電「彼女は、そういうの理解できる人なの?」

数「いや、多分、無理」

機「だから、お前が教えてやったら、さすが数学科!ってなるだろ」

数「3月は早すぎるし!」

機「えー、じゃ、11月29日、イイニクの日とか」

数「ニク? 敢えてニク?」

機「いや、ニクは後付けで、1年12か月で一番デカイ素数が11で、11月で一番デカイ素数が29だから。素数、それ以上、分けることができない数。ほら、結婚式の祝儀、偶数だと別れるからダメとか言うけど、数学科としては奇数でも3の倍数とか割り切れるじゃん!って思って許せないでしょ?」

数「別に、許せるだろ!」

電「彼女は、そういうの理解できる人なの?」

数「いや、多分、無理」 

機「面倒くせーな。もう、この際、付き合って1年とかでいいんじゃね?」

数「あー、そうすると実は、この流れに意外と乗ってる日でさ」

機「いつ?」

数「8月16日」

電、機「2の3乗と2の4乗!」

 

フィボナッチ数とか出てこなくて、良かったです。

地方公務員がモテるとかディストピアじゃないの

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 ちょっと、これはどういう視点で書くか逡巡したのだけれど。

 まずは、自分も30代後半の独身地方公務員として、結婚をどう考えるかとか、仕事に対する態度やスキルをどう考えるかって視点があり、一方で、市役所の内情と現実を知っている普通の地方都市在住者として、これからの若くて才能のある人たちが活躍する場として、市役所がふさわしいのかどうか、という視点があり。

 

 で、個人的なことはおいて、産業振興担当から今、まちづくりっぽいことを市役所でやってる人間として、書く。

 

 事の発端は、鳥取市の婚活事業を報じた共同通信の記事。

 


鳥取市、男性公務員限定婚活企画 女性の応募殺到 - 47NEWS(よんななニュース)

 

鳥取市、男性公務員限定婚活企画 女性の応募殺到

 

 鳥取市が、人口減少対策として実施している婚活サポート事業で、男性の参加者を公務員に限定したイベントを3月中旬に企画していることが5日、市への取材で分かった。

 市によると、一部の市民からは「税金で公務員の結婚を世話するのか」といった批判も寄せられたが、参加者を募ったところ女性の応募が殺到。市は「女性のニーズに応じて企画したもの」と理解を求めている。

 当初は男女各20人を予定していたが、女性から過去最多の79人の応募があり、定員を各30人に増やした上で抽選した。男性は県職員や教職員、警察官や消防士などから応募があり、市職員も数人いたという。

 

 

 他紙も一部報じたらしいけど、それらに対して、twitter上でいくつか反応が。

 

  ほんこれ。

 うちの街は、製造業、卸売業中心に中小企業がそれなりにあるんで、マトモな大学を出た後、帰ってきて実家継いでる人たちも、そこそこお会いするんだけど(特に産業振興担当だったときとか)、その人たちは経営者の息子として生まれたから帰ってきたって人たちが大半。

 一方、団塊世代より下になってくると、そこそこ優秀でも経営者じゃなく会社員(それこそ役所、教師、銀行と偶然、成長できた会社で社長の右腕的存在)だったりするから、うちらの世代まで降りてくると、親の会社を継ぐって選択肢を持ってる人間も相当、限られてくる(右腕的専務さんの息子も入ってるって会社とかもあるにはあるけど、それはそれで江戸時代っぽいよね。家老かっつう)。

 

 若い世代の人たちが、うちの街で働こうとしたとき、どういう選択肢があるのか。

 

 その点で、今、うちの市役所の入って5年目くらいまでの20代の子たちを見てると、意外と他市出身でも入ってくる子とかいて、みんな、少なくとも学校の勉強ができるって意味では優秀だから(学習能力や基礎的なリテラシはあるから)、仕事の仕方や仕事に対する姿勢、態度とかをちゃんと教えてあげることができたら、多分、今の40代、50代の管理職なんかよりも、はるかに優秀な職員になると思うんですよ。上の世代が抜けた後も大丈夫どころか、5年くらいで追い抜いてしまうくらいの。

 

 ただ、その一方で、多分、市役所の制度的に、彼らの大半は育たずに終わるんだろうな、と思っていて。

 あるいはさらに、彼らが市役所職員として、優秀に仕事をしたところで、本当に街を前に進められるのか、とも思い。

 ああいう若くて優秀な人たちが、街に出て、民間で、自分の頭で、自分の才覚で事業を起こしていかないと街は変わらないんじゃないの、と思うんですよね。

 

 だから、地方都市には、これからもっと若くて優秀な人たちが活躍できて、さらに才覚を伸ばせる場をつくっていくべきだし、できれば、そこに交付金補助金社会保障費みたいな国による再配分に頼らなくても、高い所得を稼げる仕事をつくっていく必要があると思うんですよ。

 

 若くて優秀な子たちが市役所に集まる理由が、まともに給料を払える事業所がそれくらいしかない、という現実はある。

 なので、地方都市に住む若い女の子が、優秀な男や、金を稼げる男と出会おうと思ったら、まあ、公務員が確率のいい漁場だ、っていう現実もある。

 

 ただ、それが安心とか、安定とか、リスク回避、的な意味が強くなってくると、世の中全体が停滞するんじゃなのって危機感はある。

 そして、市役所はどれだけ優秀な職員を集めてきても、その性質上、保守的にならざるを得ない部分がたぶん、ある。

 

 それなら、やっぱり、東京に出なくても地方でも、若くて優秀なヤツが所得を稼げる場を、民間の市場経済の中で、どう作っていくのかってことに、世の中全体がもっと関心を寄せる必要があると思う。