aemdeko

日々の仕事に必要な調べ物の結果や個人的見解を備忘録的に書いておくと他の人に役立つこともあるかも、くらいのノリで。対象範囲は人口構造、社会保障費、都市計画、行政運営、地方自治あたりになろうかと。

市役所に入ってやろうと思ったこと

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  どういう仕事を選ぶか考えるときに、自分のやりたいこと(will / would)、できること(can)、やるべきこと(should / must)の重なりを考えてみる、って話がある。

 そういう視点で考えても、まあ、市役所受けてみようかな、と思ったのは、多分、長期的な視点に立って根本から物事を考える、ってことをしたら、街のために貢献できるんじゃないの=お金を貰うに相応しい働きができるんじゃないの、と思ったからって部分が結構、強い。

 

 個人的には、市場原理を信じている。

 でも、「朝三暮四」って言葉があるとおり、人間はそんなに頭のいい生き物じゃない。目の前の利益や感情に流されて、長期的、合理的な利益を捨てることがある。

 大学時代も研究室では、民間企業ではできない、実用化まで時間が掛かる長期的な研究をしよう、という先生だった。

 趣味の音楽とか映画でも、優れた才能を持ちながら、さっぱり売れない人たちはいた。それで、売れ線にすり寄った結果、自分たちのアイデンティティを見失ってしまってファンが離れていったり、あるいは生活のための仕事が本業となって忙しくなった結果、活動が停滞していくのを、何人も見てきた。

 

 だから、日々の生活に流されて、長期的な課題を見失いがちな普通の市民の人たちに対して、社会問題の専門家として、長期的な課題を提示し、改善策を提案する仕事という意味での市役所の仕事、というのは、やる価値があると思った。

 

 そういう長期的な視点に立って物事を考える仕事は、よく言われることだけど、日本にはちゃんとシンクできるシンクタンクは存在しなくて、大学か行政くらいしかない。後は特定の民間企業の研究開発部門だけれど、すでにうちの街に帰ってきてた自分には、ハードルが高い話だと思った。そして、うちの街には大学もない。

 

 なので、長期的視点に立って、社会に質問を問いかける、という仕事としての市役所は、まあ、やってみよう、と思った。

 

 具体的には、特に市場に近い産業振興分野で、1つは既に優れた製品を持っているけれど売れてない企業と一緒に、全国、全世界にプロモートしていく、という仕事があるだろうし、もう1つは企業の経営者に対して目の前の利益だけを追求するのではなく、社会変化を先取りした経営戦略を一緒に考えていく、という仕事があるだろうし、また、地域の住民、特に若い世代に対して、大会社で知名度はないかもしれないけれど、そこそこ面白い仕事をやれる企業がうちの街にもあることを示していく、という仕事もあるだろう。

 このうち3番目は、王道で学校と連携しようとすると面倒くさい、ということだけは分かって、まあ、どれだけやれたか分からない。

 

 で、別に市場に直結してる分野じゃなくても、今のまちづくりっぽい分野でも、やらせてもらってるのは、10年、20年後をイメージしながら、今、やっとかないと将来、大変なことになりますよ、それでいいんですかって呼びかける仕事だ。

 

 ただ、やってて思うのは、うちの市役所の組織上の問題(今いるポジション上の問題)なのかもしれないけれど、課題を明らかにして、いくつか解決策を示すところまではできても、そこから実際に社会を前に進めるために、直接、呼びかけて人を動かす力は、やっぱり弱い。

 この点で、今後、大学や研究機関でも、研究業績を社会に反映させていくために、そして社会からのフィードバックを得てより研究の精度を高めていくために、社会との接点をどうやって持ち続けるのかって課題が出てくると思う。

 

 民間で直接、事業を起こさないと世の中は変わらないんじゃないか、と思ってる。

 そして、もう1つは、最初に戻って、自分は市場原理を信じていて、それは人間の愚かさゆえ、なのだけれど、いくら自分が専門性を持って冷静に長期的視点から物事を考えられる、と言っても、その答えは絶対ではない。

 ちょっと矛盾があるようだけど、長期的視点に立った提案は、市場では正しく評価されないかもしれないけれど、やっぱり複数の提案の中から、市場に晒されるべきだと思う。

 その意味で、うちくらいの街で、たった一人の担当者しかいず、その一人が思いついたアイディアで街を拘束するのは危険だと思う。

 市役所内の合議システムは、市場や民意とは真逆の、そして自分一人で考えるよりもはるかに質の悪い意思決定手段で、全然、機能していない。

 正しく民意を反映する仕組みとして、市議会なんて全く機能していないし、市長は、うちの市長は割と、自分を通して、民意と担当を精緻に対話させようとする人だけど、ときにはやっぱり担当として、市民として、「何だかなー」、という判断もある。一人の人間が決めることには限界がある。

 

 そして、市役所に9年いて、長期的な課題を考える人材として、あまり市に貢献できてないかもしれない、と思う最大の理由は、その市長を除いて、「長期的な視点に立って課題を考え、市民と対話する」という活動を、そもそも重視している職員に、ほとんど出会わなかった、ということです。

 特に、市役所の方向性を考える総務系の部門の職員には、上から下まで一人もいるとは思わない(まあ、下、若い子たちは少しは意識があるみたいだけど、彼らには上を説得する力がまだない)。

 市長は考えていると思うのだけど、ただ、同時にそういう総務部門の人選をし、総務部門にそういう仕事をさせているのは、市長の権限なので、結局は、彼がこういう市役所の在り方を肯定している、という結論に至る訳です。

 そして、去年の秋に市長選があったとき、他の候補者は立たず、おそらく立ったとしても勝てないだろう、という理由で立たなかったんだろう、という現状を思えば、こういう市役所の在り方を、そもそも市民が民意の総意として肯定している、ということだと思う訳です。

 

 市役所が自分の貢献できる場所ではないのなら、街に出て、小さくても自分で事業を始めた方が、少しでも確実に街に貢献できるのかな、と思うんですよ。

 もちろん、長期的視点に立った提案を行っていくので、それ単体でお金を貰うことは難しく、何か分かりやすい短期的利益を提供しながらの提案になっていくと思います。その分、長期的視点でものを考える余裕は、時間的にも精神的にも削られるかもしれない。

 でも、まあ、市役所で9年仕事してて、本当に、その物事を深く考える、って作業は、自分の本能に刷り込まれた資質なんだろう、と思うし、考えることは止めないと思うんですね。少なくとも、今の市役所の大半の人たちよりは、他の仕事をしながらでも、十分、マシな考えを持ち続けるんじゃないの、とか思うんですよね。