少子化とIT化で地方経済なんか全然、楽観できる訳ない、という話
今、読んでいる本の感想は読み終わったら、まとめて書くとして、こないだ庁内協議のときに出た話で、個人的には当たり前なのだけど、世の中で錯覚している人が多そうだ、という話を確認まで。
2000年前後くらいに、R&D(研究開発)の重要性が叫ばれて、国内の大手輸送、電機、その他重工系のメーカーなんかは、結構、R&Dセンターを建設していたんですよね。それも、だいたい、地方都市の郊外に。
いわく、「豊かな自然環境の中でゆとりある研究生活を」うんぬん。
当時、就職活動をしていた我々、理系学生は…と言うか、少なくとも自分個人とその周辺の反応は、
「バカジャネーノ」
って感じでしたよ、正直。
絶対、行きたくないって人は少数でも、出世する上で島流しに遭う必要があるなら、まあ、やむを得ない、くらいの消極的な受容、という雰囲気でした。
もちろん、我々はある程度のインテリなので、首都圏近郊ではまとまった敷地を確保しづらいんだろうな、とか、招へいする側の自治体としても、固定資産税や従業員の住民税とかで税収が期待できて、なおかつ、地元の女子と結婚してくれて、あわよくば、そのまま優秀な子供を育ててくれたら、って期待もあったりするのかもな、みたいな裏側の事情も透けて見えはしたのですが。
そのころは、ディジタル・ディバイドって言葉もまだ流行していた時代で、これからの仕事は場所を選ばない、それよりもインターネットに接続できるかどうか、接続した上で情報を適切に扱うリテラシーが重要だって言われていましたが、結局、10年経って、世界レベルで見ても、ITによって地域差が解消されて多極化が進んだとは思えないですし。
確かに、ビル・ゲイツがシアトルを選び、マーク・ザッカーバーグがシリコンバレーを選んだように、あるいはテキサス州オースティンや、フィンランドのオウルーのように、ITが勃興したことによって新たに台頭してきた都市、というのは存在します。
それらの都市は、従来の都市が、農耕や交易に適した地形があったり、気候に恵まれていたり、石炭、鉄鉱石、石油のような自然資源を産出できたのと比べたら、かなり発展の地理的制約は少ない、って話も今の本にも出てきます。
ただ、それらは、人的資源を集約できている、という好条件は持っているんですよね。大学の存在や先行する産業の存在によって。
確かに、ビル・ゲイツがシアトルを選んだのは、単なる地元だから、というだけのことで、マイクロソフトそのものがシアトルのトリガーになったように、一定規模の都市ならば、まったくのゼロからでも、何か1社、ひとにぎりのグループが最初に定住した、というだけでも大きく変わる可能性があるのかもしれません。
ただ、そのときに、理系のテクノロジスト/サイエンティストを招こうと思ったら、「豊かな自然」ではないと思うんですよ、彼らが望む環境というのは。
理系にもアウトドア派の人間や、スポーツ好きの人間もいることはいますが、基本的には、研究開発を志向する理系の人間って身体性に乏しい、つまり、頭脳と体を別物と考えていて、自然とか興味がないか、むしろ煩わしいと思っている人が多いんじゃないか、という気がするんですけどね。
だから、豊かな自然を売りにするならば、自然と親和性の高い(ロハス的な?)産業を検討すべきだし、本当に最先端のテクノロジー拠点を目指すのであれば、彼らにとってインセンティブになるような、自分たちの特徴を売り出していく必要があるんだと思います。