aemdeko

日々の仕事に必要な調べ物の結果や個人的見解を備忘録的に書いておくと他の人に役立つこともあるかも、くらいのノリで。対象範囲は人口構造、社会保障費、都市計画、行政運営、地方自治あたりになろうかと。

新潟県上越市にみる中心市街地の行方

 

f:id:mordred77:20140706131622j:plain

 

 分析的な話と言うよりも、見てきた感想を備忘録的に。

 

【1 歴史:古代から近代までの中心市街地の変遷】

 まず、上越市に詳しくない方のために、歴史的経緯を。

 

f:id:mordred77:20140712092855j:plain

 ※地図は国土地理院地図を勝手に一部加工。

 

 上古の上越市周辺はよくわからないんですが(ヌナガワヒメの糸魚川との関係など)、国分寺が地図の北西部にあることからもわかるように、古代には越後国の国府が置かれ、日本海側の交通拠点として発達してきたようです。

 また、国分寺の近くには、羽咋、高岡、豊岡などの日本海側に連なる気多神社と同列と考えられる居多神社もあり、歴史的な中心市街地のようです。

 国司が詰めた国衙の位置は、不明のようです。ただ、国分寺から2キロほど東、現在の直江津駅から関川に向かう南側の自然堤防上に中世の越後守護上杉氏の居館があり、また後述する堀氏も一時在城したことから、当該地に遅くとも中世には国府もあったようです。

 

 中世、南北朝期には関東管領上杉氏の分家筋である、越後守護上杉氏が入り、その守護代長尾氏が、国府の南西、春日山城に拠点を移します。おそらく国府に対する信濃方面からの防衛ラインとしての位置づけかと思われます。なお、前述のとおり、南北朝~室町~戦国~安土桃山時代においても、国府そのものは海岸寄りにあった模様。

 

 1598年、会津転封となった上杉氏に代わって入った堀秀治は、春日山城は重視せず、前述のとおり直江津駅近くの城館に拠り、その後、関川の対岸に福島城を築城して、そちらに移ります。戦乱期が終わり、山城の重要性が減って、より交易や統治に適した河口近くの平城に移るのは、全国どこでも見られる傾向です。

 

 ところが、堀氏に代わって越後に入った徳川家康の6男、松平忠輝は、1614年、福島城を捨てて、南部に高田城を築き、そちらに移ります。上越市に行ったときは、ちょうど高田の商店街に開府400周年のフラッグも掲出されていました。

 以後、明治まで高田が中心市街地として栄えたようです。

 

 ところが、旧国府周辺も近世以降も引き続き、日本海貿易の要衝として栄えたらしく、明治に入って鉄道が敷設されると、北陸本線信越本線を結ぶターミナル駅として、直江津駅が設置され、この駅周辺も発展していきます。

 

 1971年には高田と直江津が合併して上越市となり、以後、2つの中心を持つ1つの都市としての道を歩みます。現在、上越市役所は高田、直江津の中間地点に存在しますが、人口集中地区(DID)は高田、直江津それぞれに存在しており、接続していません(総務省DID境界図新潟県公開のこっちが分かりやすいかも)。上越市役所は、直江津DIDの最南端という位置づけになっています。

 

【2 現代:2つの中心を持つ街から5つの中心へ】

  合併後、1980年の国勢調査で高田DIDは面積9.2平方キロに人口48.5千人、直江津DIDは面積6.6平方キロに人口24.6千人。30年後の2010年では、高田10.7平方キロに人口45.8千人、直江津11.7平方キロに36.8千人という状況になっています。

 高田はDIDの面積が微増、人口が微減に対して、直江津は面積2倍弱、人口1.5倍、という状況。

 

(1)直江津地区

 直江津については、幹線道路をさくっと車で流しただけなのですが、別段、発展している、という感じはしませんでした。人口5~10万人レベルの地方都市の伝統的な市街地、駅前、というイメージです。

f:id:mordred77:20140706163511j:plain

 駅前から市街地の商店街に向かう道路を信号待ちの間に。

 駅の写真は撮り忘れましたが、さすがに北陸本線信越本線の結節するターミナル、という立派な駅舎でしたが、それと比較すると駅前の感じは、むしろヤバイんじゃないだろか、というくらいで。

 北陸新幹線については、後述しますが、開通したら直江津駅、どうなってしまうんでしょう。

※うちの街にある新幹線開通後、捨て去られたターミナル駅の惨状たるや、、、でも、直江津は地方幹線鉄道ですからね、、、

 

 直江津地区の発展は、数字からも明らかなように郊外に向かって市域が広がる中で住宅地が拡散している、という感じで、街の高密化、高機能化、という印象はありません。もちろん、高密化の是非、というのはある、というよりも近代以降、バブル期までの都市計画には高密化の抑制という趣旨もあったと思うわけですが。

 

(2)市役所周辺

 むしろ、直江津地区の発展は、市役所周辺に広がっているようです。直江津港周辺の工業地帯の影響もあるかもしれませんが、そちらは見に行きませんでした。

 先ほどの新潟県のDID地図をみる限りでは、沿岸部には住宅は増えていない模様。商業施設とかも話には聞かないので、DID図見る限り、やはり市役所周辺の方が発達しているのだと思います。

 とはいえ、春日山城本丸跡から見る限りでは、市役所周辺も低層の宅地が周辺に広がっているだけ、という印象でしたが。こちらも直接は見に行きませんでした。

f:id:mordred77:20140706152230j:plain

 左奥が直江津港方面。中央手前あたりが市役所周辺…だと思います、土地勘ないんですが…。

 

(3)高田地区

 高田地区は、典型的な旧城下町型の中規模地方都市、といった感じでした。ただ、新潟県立図書館のアーカイブを見る限り、旧城下町の中でも呉服町とか、商人町のあった地域がそのまま目抜き通りとなって、現在も継承されているようです。

 地方都市では旧市街と鉄道駅が離れているせいで、駅前の方に市街地が寄っていった地域も多いのですが、駅前よりは、この大通りが発展しているようです。

 肯定的な面としては、古くから続いている感じの店もそれなりにきちんと商売をしておられ、また若い人が営むアパレル系のセレクトショップや、飲食店なども見受けられました。

 この日は、午後から交通規制を実施してのイベントがあったようなのですが、そこそこ歩いている人もいる、という印象も受けました。

 あと街道沿いに延々と商店街が続くうちの町と比較すると、商店街自体がコンパクトではあるので、出店する場所が限られている、高密化せざるを得ない、という面もあるのだと思います。

 

 もちろん、否定的な面を見れば、やっぱり空き店舗は多いです。市役所の分庁舎として埋めた場所もありました(元々の高田の役場跡なんでしょうか?)。営業している店でも、人があまり出入りしていないように見受けられる店もありました。

 また富山県に本店を置く北陸系百貨店の大和が新潟県内から相次いで撤退しており、その跡地の再開発は、こんな状況です。

f:id:mordred77:20140706121937j:plain

 大通りに沿って広場の手前が100円ショップのダイソー、奥がドラッグストアのウェルシアでした。地権者、消費者、周辺の店舗にとっていいことか悪いことかは分かりませんが、現実として、そういう選択肢になってくる、ということでしょう。また、両店とも少なくとも、うちの市内の店舗に比べて客が入っているようには見えず、家賃を支払い続けられるのかはわかりません。

 

 広場の奥には、左側に地元資本の讃岐うどん屋さんとカフェ、右側が1年前のオープン以来、出店者が決まらず現在もフリースペースとなっていました。

 うどん屋さんは客席数が少ないようで、順番待ちの人たちが広場部分に座ってくつろいでいましたが、いっそテラス席にしてしまうと、それはそれでオペレーションとか色々と大変、なんでしょうか。

 

 日曜の昼前後、そして午後からイベントが予定されている日、と考えると、集客状況は厳しいかもしれません。

 少なくとも経営的には空き店舗が埋まらない時点でキツイと思いますが。

 

(4)上越インターチェンジ周辺

 北陸自動車道上越インターの南側には、ドン・キホーテコメリがあって、あれはあれで面白そうでしたが、近寄らず。

 一方、国道18号のバイパスを通って北側に降りると、イオン、酒のやまや、サイゼリア、上州屋、ヤマダ電機ジョーシンクスリのアオキ、ゴルフ5、ハードオフ、アオキ(紳士服)、セリア、ABCマート、靴のベル、ジーンズ・アメリカ屋、バーミヤンスーパーセンタームサシ、アミング、幸楽苑スーパースポーツゼビオ、といった教科書的なロードサイド店舗が東西400メートル、南北1キロの範囲内に乱立しています。

 ちなみに、バイパスの反対側には、ケーズデンキ上越地区では大手のスーパー、ナルスも。

 メインストリートしか通ってないので、1本裏側に回ったりするともう少しあるかもしれません。バーミヤンサイゼリヤ以外に、意外とファミレスとかファストフードが見当たりませんでしたね。

 写真で見ると、こんな感じです。

f:id:mordred77:20140706134953j:plain

 市が整備した児童公園に隣接するスターバックスの店内から。

 ちなみに、イオンはショッピングモールでも何でもなく、普通のGMSで、アコーレという地元の協同組合が運営する専門店街と建物を共有しているのですが、「高田の市街地、結構、人がいるじゃん」とか言ってられない感じの、普通に「休日の人出があるって、こういうことですよね」って感じの人の数でした。中高生や老夫婦だけでなく、普通に子育て世代や結婚前のカップル風もいて、繰り返しますがモールじゃなくて、普通のGMS、いわゆるジャスコですよ?

  そして、ここはDIDの外側。

 

 やはり上越市ともなると新潟市には出づらいし、まして東京にも出にくい。一方、市街地からは高田からも直江津からも国道18号のバイパスで数分。現在、市役所方向に向かって、春日山城址まで至る大通りも整備されたようで、そちら方面のアクセスも良好。おそらく平成の大合併上越市に組み込まれた周辺の集落からもアクセスしやすいのだと思います。

 

 市町村合併から40年が経ち、核都市の中間の農村地帯にできた交通結節点周辺の商業地域化、という事例としては、平成の大合併を終えた全国の市町村にとっても参考になるのかもしれません。

 

 上越市の場合、市内だけでなく、北陸自動車道上越インター直下、ということで西の糸魚川市や東も柏崎あたりまで商圏に組み込まれているのかもしれません。柏崎だと市内で用事が足りるのか、出るとしても長岡なのか、そのあたりの土地勘が分かりませんが。

 

 

 ただ、惜しむらくは、国道18号にしても、旧北国街道にしても、元々、日本海から長野に向かう結節点として栄えた上越市ではありますが、高速道路の上信越道は、町の西側、市役所付近で合流するため、長野方面からの来客がどの程度、あるのかは不明です。と言っても、ジャンクションから北陸道に移れば、数十秒の世界ですが。

 

 むしろ、自動車での来訪を想定しているエリアなので、集積しているメリットがあんまりない(車で5分くらいの移動は、逆に邪魔くさい。かと言って歩くには駐車場が広すぎて遠い。実際、歩行者は見かけず)。

 あとは比較的、全国チェーンではない、県内資本や北陸・東北資本の店もあるものの、とはいえ、地元資本ではないわけで、都市としての活力として考えたときに、本当にそれでいいのか、という。いや、あくまで小売店なんて、モノを買う場所で、稼ぐ場所、都市内の多様性を反映させ、伸長させる場所は他にあるからいいんだよ、ということであれば、たくましい話ですが。

 あるいは周辺地域から、これらの店舗を核として人が集まったときに、ついでに寄っていってもらえる小型店が今後、周辺地域に市場をつくれるのか。でも、自動車で来る客って、さっきの話と同じで、ついでに寄るって行為のハードル高いですからね。

 

(5)北陸新幹線上越妙高駅

 上野(上州)・越後の上越と、越後の上の方の上越が紛らわしい。。。現在の北陸本線脇野田駅周辺(ヘッダの画像)、予想以上にど田舎で、これは、なんかもう発展しないんじゃないかな(笑)。

 空港みたいに考えればいいと思いますよ。郊外の閑散としたところにあって、いったん街に出てきてから、次を考える、と。

 じゃあ、街に出る手段は何なのか。信越本線なのか、シャトルバスなのか、タクシーなのか、それに乗って向かう先は高田なのか、直江津なのか、市役所周辺なのか、インター周辺なのか、という問題はあるのだと思います。

 

 個人的には、新潟方面から石川・京都に向かう場合は、富山まで北陸本線で行ってから北陸新幹線なのか、直江津から上越妙高駅まで接続するのか、その辺が気になります。年間利用客数は、そんなにいないと思うのですが、その辺りが上越市内の人の動きにもつながってくる可能性もなくはないよね、と。

 とはいえ、新潟から京都・大阪に行くときは今後、当面、東京経由、上越新幹線東海道新幹線なんだろな、とは思いますが(現在、時間はほぼ同じ。料金はやや高い。接続時間、本数で新幹線が便利)。