aemdeko

日々の仕事に必要な調べ物の結果や個人的見解を備忘録的に書いておくと他の人に役立つこともあるかも、くらいのノリで。対象範囲は人口構造、社会保障費、都市計画、行政運営、地方自治あたりになろうかと。

現代人なら家の外でメシ食った方がいんじゃないの、とか考えてみたんですけども

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 現代社会では、近代まで家庭や地域で負担されていた機能(いわゆる地縁、血縁の世界)を、より柔軟で入れ替え可能な仕組みの中で分担していく必要があるのではないか、という話。

 あるいは、日本の場合、よく言われるように、戦後の都市化、給与所得者の増加の中で家族的な企業組織(や、一部はPTA活動)によって分担されていた機能を。

 

 ほとんど思い付きで可能性を示すだけで、論考というレベルには達してませんけども。

 

 さて、さまざまな仕組みが社会の中で流動化している1つの要素は、貨幣経済の発達で、さまざまな財やサービスの価値を数値化して、比較交換可能になったことは大きいと思う。

 もう1つの近代の特徴が、規格大量生産による生産効率の上昇(労働力の省力化と価格の低減)でもある。

 であれば、本来、財あるいはサービスとしての飲食の提供も、家庭で作るよりも外で買って食った方が(圧倒的に)安くなっていいはずなんですよね。

 うちの地域では、比較的、飲食店や弁当の宅配事業者が多かったりして、それは小規模事業者では奥さんも仕事してる割合が多いので、比較優位の論理で、(自分たちは生業に専念して)食事は他人に作らせた方がコスト安い、て理解はあるんだと思いますが。

 

 とはいえ、一般的には、やはり家人が作りがち。

 おそらくは、(1)農業や漁業が規格大量生産にシフトしていないので大量流通による材料費のコストダウンが難しい、のと、(2)材料も製品も長期保存できないので、廃棄コストがかさむ、てあたりが理由なのかなー、と思ったり。

 あと、日本の場合、(3)お母さんの愛情こもったナンタラ。

 

 ただ、これらは現代においても当分、解決不可能な話かというと、(1)については、先物市場の整備みたいな金融的な仕組みの構築だったり、あるいは生産者と加工者の垂直統合によるコスト管理とかで解決できる気がしますし(ITによるマッチング技術はどうなんだろなー)、(2)については、冷蔵技術と適時生産技術(材料生産は難しくても、加工で)の導入で何とかなる気がします。

 

 逆に言うと、これまでの飲食専門業者が、家内制手工業の飲食品より、品質の点で劣る部分があったのだとすれば、このあたりの保存性を重視して高脂質な食材に偏っていたり、コストダウンが加工工程に集中することによる大雑把な味付けだったり、その辺の未熟さによるジャンク感、というのもあるのだと思いますが。

 

 (3)については……少なくとも、うちは母親が料理苦手な人だったんで、普通に家の料理より学校給食(とか病院の入院食)の方がマシな家庭で育ちましたんで、栄養と味さえよければ、作り手の思いとか別にどーでもいーですから。

 

 ただし、趣味として料理をつくるのが楽しい、という世界はあるし、残すべきだと思いますけども。

 

 現代(あるいは将来)の社会で、物の価値における心理的あるいは共感的要素がどうなるのかは、また長い話になりそうなので、そのうち気が向けば、稿を改めて。