aemdeko

日々の仕事に必要な調べ物の結果や個人的見解を備忘録的に書いておくと他の人に役立つこともあるかも、くらいのノリで。対象範囲は人口構造、社会保障費、都市計画、行政運営、地方自治あたりになろうかと。

【都市工学】久繁 哲之介「地域再生の罠」も読み終わったんだけど、相変わらず惜しい論説だなー、と

 このブログを始めて、週1回くらいのペースで更新できたらいーな、とそんなことを考えていたときもありました。あの頃、私は若かった。

 別に読んだ本の感想だけのブログにするつもりもないんだけども、何となく読んだ本の感想を書こうとか思ってると、他のネタは取り上げづらかったりして、さらに、その読んでる本も意外にマトマった時間が取れないと読み進まなかったりする。。。

 それに、このところ、本を読んでいると眠くなるという。これはもうナルコレプシーじゃないかというくらいな感じで、マジで本を読むのが遅い。

 

 そんな中、眠い体にムチ打って、何とか読み終わった。

地域再生の罠 なぜ市民と地方は豊かになれないのか? (ちくま新書)

地域再生の罠 なぜ市民と地方は豊かになれないのか? (ちくま新書)

 前に読んだ都市研究センターのリポートと違って、新書ということで、かなり一般向けに書かれている印象はあるけれど、基本的な論旨や姿勢は同じ。一般向け、というのは分かりやすさ、と、あとちょっと感情的というかセンセーショナルな感じ。

 

 地方自治体がしょうもない大して成功してもいない「成功事例」を持ち上げて、その表層だけをマネして、続かずに時間と予算と意欲を浪費している、と言うのは、まあ、市役所で7年も働いていると本当に、そういう部分はよく目にします。

 個人的には、ヒネくれてるので、ヨソで成功しているという話を聞いても、「それ本当に成功してるの?」、「その成功を取り入れてウチでも成功するの?」、「同じ結果がウチにも起きて、それって本当にウチら的に幸せなの?」と懐疑的に仕事に取り組んでいますが、まあ、なんつうか、日本人って、本当に街が変わるかどうかみたいな曖昧な仕事よりも、とりあえず自分たちが一生懸命やっている実感が得られる仕事の方が好きじゃないですか。

 そういう仕事は、だっせーなー、と思うんですけどね。なんか、ムキになって反論するのも大人げないし、ひょっとしたら本当に成功するかもしれないし(しないと思うけど)、ただ自分の道をふさがれないように距離を取る以外に選択肢はない。

 

 と言うわけで前半部分の成功事例と言われつつ振るわない各市の事例批判については、大変、興味深い。

 

 ところが、後段、また前回の論文と同じで、氏の提案についても、これらの美しい失敗事例に比べて、どれだけの論拠があるのか、と言うと、厳しいと言わざるを得ない。

 特に成功事例として挙げている新潟市の話とか、自分が伝え聞く限りの話と比べると、物事の因果関係が逆ではないかと思うし、結局、新潟市の古町地区の地盤沈下は止まってない(まあ、ウチの街より遥かにマシで、あの状態で大変だとか言われると、ウチらどーしたらいーんすかって感じだけど)。

 

 また、今回も前回の論文と同様、大きく2つの提案、(1)スポーツセンターの設置、(2)交流空間の創造を示しているのだけれど、これの有効性についても、もう少し論拠が欲しいところ。

 たとえば、スポーツセンターについては、観戦(やファングッズの購買)の場所なのか、トレーニングの場所なのか、実際に自分たちがプレイする場所なのかで大きく話は変わると思うのだけれども、本書でも主にプレイする場所を想定しているようで、それには面積の面で、本当に有効な土地活用なのか? という疑問に対して、充分に説明しきれていないと思う。

 たとえば、現代日本で比較的、小さなコートで人気もあるフットサルですら、国際試合のピッチは最小で18m×38m。これに観客席や、更衣室なんかの付帯設備を付けたら、中心市街地に作るには結構、デカい施設になる気がするんですが? まあ、4~5階建て以上のビルの1フロアでやるとかだったら、可能性はまだなくはないと思うけど。

 テニスコートとかは、もう少し小さいかもしれませんが、同時にプレイできる人数、という点で、面積の活用という課題は同じ気がします。

 そして、現代の日本では、人口の大半が会社員と学生に占められているため、平日の日中は休眠し、平日の夜と土日に使用が集中する、という点をどう解消していくのか。

 

 交流空間の創出についても、おそらく日本の地方都市が生き残っていくためには、この路線しかないのだろう、とは思うのですが、一方で、本書中でも若者が個室居酒屋を望んでいる、と指摘があるように、日本人は本当に他者との交流を望んでいるのか? 同質な隣人との交流だけを望んでいる人間が、いわゆる都市的な活況を生み出すのか、という点について、物足りなさが残った。

 個人的には、交流空間としてしか地方都市が存在しえないのだとしたら、むしろ、都市の消滅、茫漠たる孤立した郊外の成立、という課題に対して、真剣に向き合うことも必要なのではないか、とすら思い至った次第。