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日々の仕事に必要な調べ物の結果や個人的見解を備忘録的に書いておくと他の人に役立つこともあるかも、くらいのノリで。対象範囲は人口構造、社会保障費、都市計画、行政運営、地方自治あたりになろうかと。

【都市工学】久繁 哲之介「都市にサード・プレイスを創る」読み終わって、まあ、こっちの方向なのかな、とか

 前々回前回と感想も小出しにしてきましたが、(財)民間都市開発推進機構 都市研究センターの「Urban Study」、Vol.46(2007/05)、久繁哲之介による研究リポート「都市にサード・プレイスを創る」を読み終わりました。

 

 まあ、6年前の報告で、しかも、個々のレポートの大半は、そのまた3年くらい前から同誌上で発表してきたものを再編集したものなので、ちょっとズレてるかと思う指摘もあるし、既に書いたとおり、どうしても、氏の主観としか思えない、ちょっと拙速な論理構成もあることは事実です。

 

 とは言え、大筋では、こういう方向性なのかなー、というのが読んでみての感想でした。細かいディテイルや時代の変化については、氏の2010年の新書「地域再生の罠」でも、ほぼ同じような方向で書いてあるようなので、改めて、そちらで確認してみたいと思います。

地域再生の罠 なぜ市民と地方は豊かになれないのか? (ちくま新書)

地域再生の罠 なぜ市民と地方は豊かになれないのか? (ちくま新書)

 

 ※つっても、この間に、また色々と都市工学系の本を仕入れてしまったので、読む順番は、これから再度、検討。

 

 一方で、実は、個人的に一番気になったのは、7年も前に書かれたリポートなのに、全国のまちづくり/都市計画関係者が一体、どの程度、この報告書に目を通しているのか、という点です。あるいは目を通して実行に移したのか。

 ここで書かれている問題は、7年経って、そう大きく変わっているように思えないので。

 

 もちろん、単に読まれていない、という訳ではなくて、読んで実際に取り組もうと思っても、いろいろと利害関係が複雑で、すぐには実行できないとか、地道な変化を目指すべきものなので、変革に着手はしているけれど、7年くらいでは目に見えた成果の上がっている都市は、まだ少ない、というだけのことなのかもしれませんが。

 

 しかし、この報告書に限らず、異動で今の部署に来て、丸1カ月が経ち、何となく、まちづくり、都市計画系の文章を読む機会が多いのですが、それで新鮮に感じるのは、日本って、都市工学とか研究してる人、イッパイいるんですねー、という。なんか、どこの大学にも、建築/建設系の学科とかに都市工学を専攻されてる先生が1人以上は確実にいる感じ。

 ただ、個人的に、さらっと論文の表題とか見てて思うのは、まあ、正直、言って、都市工学って対象とする分野が余りに広範な上に、実際の実験フィールドがそう多い訳でもないので、どうなんでしょう、冷たく言ってしまえば、あまり世の中の役に立っている感じはしないのですが。。。

 いや、自分なんかは元々、機械工学科の人間なんで、入力と出力と間をつなぐ系(システム)の関係とかは、いたってシンプルで、しかも、思いついたらゼロから自分で作って試してみるってことができる分野で、同じ土俵で比べられるものではないと思うんですけどね。

 

 それにしても、今、我々が仕事で必要としているのは、たとえば流体力学や熱力学的な都市の発散・収束の視点もあれば、住宅としての建築様式の問題、道路とか運輸の問題(これも多分に流体力学的な話)、そして、そこで暮らす人間の営み、という社会学、心理学、経済学の問題であるとか、相当、広範囲にわたる学際的知識であるし、それも、単なる観察による仮説だけでなく、実際の現場を変えていく取組みであるので、あれだけの研究者がいて、その知識が実際の現場で活用されていない、というのは、何とももったいないなー、とか思った次第。

 いや、それも不勉強なだけで、実は、こういうところで活かされているんですよ、という事例があるのかもしれないのですが。

 

 それにつけても、この話は、また別に書くべきくらい深い話ですが、日本の都市計画法とか建築基準法を読んでも、建築物の密集による火災時の延焼を相当、気にしているし、西洋ではこれに加えて、ペストの反省なのか産業革命以降のコレラの反省なのか、公衆衛生を相当、気にしているのですよね。

 つまり、従来の都市計画と言うのは、いかに密集させすぎないか、というのが1つの命題であって、鉄道や自動車を人類が手に入れて、広い範囲を自由に動けるようになったことで、都市の密集が解消され、郊外へと拡散したことは、都市工学の長い歴史の中では、実に前向きに捉えられる話だったのだろう、ということです。

 ただ、アメリカでは既に1960年代にはモータリゼーションの弊害というのは指摘され始めているようですし、欧州でも階級意識や移民問題の表象として、住宅地の没落がスラムを生むことから、都市と郊外の均衡というのは20世紀後半には相当、意識されているようです。

 今後、自動車に加え、インターネットが、そもそも移動の必要を大幅に減らしていく中で、「都市」、しかも、東京のような大都市ではなく、我々のような高々、人口10万人程度の中途半端な地方都市の機能集積をどう変えていくのか、真剣に考える時代が来ているのだとは思いますが。