1992年のヘヴィメタル
これから書く話は、普段のまちづくりとか行政みたいな話とは全然、関係ないんだけれども、流行とかブーム(一過性の狂騒)と、文化あるいはライフスタイルとの関係性みたいな文脈でとらえれば、それなりに意味がないとも言えない、と思って、一応、まとめておく。
こないだ、YouTubeをさまよってたら、1992年の4月に開催されたフレディ・マーキュリー追悼ライヴに出くわして、いろいろと動画を見た。
フレディ・マーキュリー追悼コンサート - Wikipedia
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たまたまフレディが前年の91年11月に亡くなったので、このタイミングだったのだろうけれど、メタルの流れとしては、なかなか、重要なタイミングに開催されたんだなー、と。
まず、トップバッターでおよそQueenと縁のなさそうなMetallicaだけど、前年91年8月に5作目のブラック・アルバムを出した直後で、この日、彼らが演奏したのも、そこからの3曲。
それから、アクセル・ローズがQueen好きを公言していた、Guns N'Rosesも同じく、91年の9月に2枚同時発売の「Use Your Illusion I, II」をリリースした直後。
この3枚のアルバムは、少なくともセールス的な意味では、メタル/ハードロックの歴史を考える上で、おそらく、最も重要な作品で、しかも、この後、92年の夏には、このMetallicaとG N'Rがダブルヘッドライナーのツアーを行うという、まさにその直前での、このライヴだったんだなー、と。
一応、メタルの歴史をおさらいしておくと、1950年代にロックンロールが生まれ、60年代にかけてロックとなり、そこからハードロックへの成長していくのだけど、技術的に複雑になりすぎたり、商業的に予算規模が大きくなりすぎて、若者の自由を謳歌する音楽としてのロックとの矛盾を訴えて出てきたのが、70年代後半のパンクロックで、このパンクロックに対して、ハードロックを再構築したのがヘヴィメタル、という流れ。
一方、パンクロックはファッション性とも強く結びついていたのだけど、1981年にMTVが開局して、プロモーションビデオの重要性が高まると、バンドの容姿も強く問われるようになって、80年代は、メタルの派生形として、分かりやすいメロディと派手なルックスに注力する、LAメタル/グラムメタルというジャンルが勃興するんですね。
で、Metallicaは、そのLAメタルに真っ向から対決姿勢を表明したストレートなメタルを得意としたバンドなんだけど(彼ら自身はLA出身だけど、サンフランシスコに活動拠点を移してデビュー)、彼らの特徴だったスピードを封印して、遅く重い楽曲中心に構成されたのが、このブラック・アルバム。
一方、G N'Rは、LAメタルの延長線上に位置するバンドなのだけど、その最終形態と言うか、浮ついたLAメタルの世界と比べれば、もう少し地に足のついたオーソドックスなハードロックの流儀を取り入れてきたバンドで、そういう彼らの世界観を示した2作目の(そして事実上、最後の)フルアルバムが、この2枚同時発売の大作。
…と見てきたかのように書いてるけど、実は自分がメタルを聞くようになったのは、93年から94年にかけてのこと。メタルを、と言うよりも、自分でお金を払って、自分が選んで音楽を聴くようになった時期で、気が付いたらメタルばっかり聴いてた。
※なので、日本国内のバンドブームとかビジュアル系の勃興とかも、学校に行けば聴いてるヤツがいるし、テレビでもたまに見かけるから知っている、くらいの世界で、全然、分かってない。
で、このたった2年後の94年4月には、Nirvanaのカート・コベインが自殺してしまって、だから、自分には音楽を聴き始めたら、いきなりグランジ/オルタナも下火になってしまったので、本当にこの92年頃のメタル全盛期を肌感覚として、体感していないんですよ。
グランジ/オルタナ、というのは、LAメタルの盛り上がりに対して、15年前のパンクと同じように、もっとストリートに近い、リアルなロックを訴えたジャンルで、実は、その代表作、Nirvanaの「Never Mind」は、同じく91年の9月にリリースされていて、メタル全盛期の終焉は、実は既にこのとき始まっていた、という。
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サム・ダンが世界各国のメタル事情を取材したドキュメンタリー映画「グローバル・メタル」の中でも日本のメタル・シーンはちょっと特殊だ、と表現されているのだけれど、多分、この92年くらいまでにメタルを聞き始めた人たちは、普通に、流行の最先端を行くおしゃれな音楽として、メタルを聴いていたんだろうな、と言うのは、ちょっと上の世代の人たちと話していると、感じるところ。
「家いるとき何してんの? 音楽聴いてんの? どういう音楽? メタル? ああ、俺も昔、聴いてたよ」、みたいなことは本当に、よく言われる。
俺は昔のバンドも今のバンドも両方、聴きますけどね、というところで、会話がかみ合わない。
海外のミュージシャンのインタビューでよく言われることだし、サム・ダンのデビュー作「ヘッドバンガーズ・ジャーニー」でも言及されているのだけれど、ライフスタイルとしてのメタル、アウトサイダーのコミュニティとしてのメタルって感じは、この92年以前の日本で、どれだけ成り立っていたんだろう、とは思わされる。
俺なんかは、下に引用する「ヘッドバンガーズ~」でのロブ・ゾンビのこのセリフとかは、すっげーよく分かるんですけど、多分、こういうことに共感しないでメタル聴いてた日本人の方が圧倒的に多いんだ、と思います。
もちろん歌詞が英語だから、とか、日本におけるバサラ~ヤンキー文化とか、同調圧力の強さとか、そういう背景の違いはあるんだとも思いますが。
生き方みたいなことなんだよ。音楽でも、他のことでもそうだけど、普通の人は、ああ、それは1週間好きだったんけど、今は、もう興味がない、とか言うんだけれど、メタルは、メタルファンは永遠に好きなんだ。
俺は浮ついた人間じゃないし、俺が何かを好きになるときは、それはリアルで、浮ついた音楽じゃない。
「あの夏は、Slayerにめっちゃハマっててさ」とか、ありえない。そんなヤツは見たことないよ。胸にSlayerって彫り込んでるヤツなら見たことあるけどね。
アウトサイダーの音楽だし、テーマもアウトサイダーなんだ。俺も子供からアウトサイダーで、一人で遊ぶような子だった。
多分、そこから始まってるんだよ。俺は野球に興味はなかったけど、マンソン・ファミリーには夢中になってた。別にそれがカッコイイから好きだった訳じゃないし、カッコイイと思われたかった訳でもない。そんなのオカシな子供だって思われるだけだ。
誰もオカシな子供になんかなりたくない。ただ、いつの間にかオカシな子供になってしまっていて、どうしてかなんて分からない。メタルっていうのは、そういうもんなんだ。ただ、すべてのオカシな子供を一か所に引き付ける力を持っているけどね。
ちょうど今、ジェフリー・ムーアの「キャズム」も読んでいるので、この流行とライフスタイルについては、そのうちもう少しマトメて整理するかもしれません。