人口が減って土地が余ることっていいことなんだろうか
今朝、うちの市内の中心部を散歩してたときの写真です。広い駐車場や庭、あるいは単なる空き地が目につきますが、郊外ではなく、中心部です。
歴史的には、江戸時代初期に新城が築城されたとき、城と川湊の間にあって職人街が形成された地域のようです。この城はごく短い期間で廃城となり、他藩の飛び地となって、市街全体は、街道沿いに城の反対側に中心が移ってしまいます。
この地域は、その後、どちらかというと、中心市街地の裏通りとして、引き続き職人街として機能していたようです。
おそらく転機は戦後、工場の郊外化、企業化によって、このエリアは職人の町から住宅街に変貌していったのだと思います。その後、核家族化と、住宅の郊外化や、そもそもの人口の東京移転によって、エリア内に新規参入が減って、高齢者だけが残存し、人口減少と高齢化が進んでいったのだろうと思われます。
そして、現在では、その高齢者の方たちが亡くなられる時代に入って、空き家、さらには低利用地が増えており、駐車場、庭、単なる空き地が広がっているようです。
地図で区画を見ると、おそらく江戸から明治くらいには、比較的、大きい商家や工房だったものを、戦後の住宅需要が盛んだった時代に、分割して小さな区画にしたエリアもあるようです。
これが2軒同時に消失すれば、土地を統合して、再び1軒分の敷地として再活用できるのでしょうが、当然、持ち主はバラバラですし、空くタイミングも同時ではありませんので、当面は、そのままの区画で使わざるをえない。
道路も狭く、駐車場を取るスペースもないため、そのままの区画では、空き家になっても、新規に入居する人は少なく、建て直すことも難しく、隣家に買われるか、貸されるかして活用されるのが関の山。空き地どころか、藪になっている区画も見受けられました。
先述のとおり、おそらく、このエリアは1970年代に、自動車化、核家族化、企業化の流れの中で、高齢者が残存する住宅地化が進んだエリアですので、今後、20年程度で、当時の新興住宅地(このエリアの息子世代による住宅地)でも同様の現象がみられるものと思います。
また、実際、今の自分が住んでいるエリアもそうなのですが、戦後復員した方や、団塊世代の子を持った親たちによる新興住宅地も市内に存在しており、まずは、そこで同様の現象が進んでいくのだろう、と思います。
前向きに考えれば、そこにとどまる人たちにしてみれば、安価に自分の敷地が拡張できて、豊かな暮らしを享受できるのかもしれません。
ただ、本当に安価に拡張できるのか、という点です。
このエリアは職人町であり、往時はそれなりの経営判断をしてきた人たちや、その親に育てられてきた人たちが、土地を管理していたにも関わらず、駐車場や庭、あるは空き地となっている状況です。
親が死んで空き地となったとき、果たして給与所得者の相続人たちが、真剣に経営的視点をもって、その土地活用を考えることができるのでしょうか。
おそらくは客観的な利用価値と、希望する売却価格(あるいは賃貸価格)に差が開き、もしくは、利用価値が低すぎて売却のための諸費用を捻出できず、引き受け手のないまま、空き地として晒される区画が増えてくるようにも思います。
もちろん、市場原理にのっとれば、そのような荒廃したエリアは、ますます人を遠ざけて、利用価値が下がっていき、完全な荒れ地となって、利用価値が著しく減少した時点で、次の利用方法が新たに生まれるのだろうとは思います。
しかし、利用価値が著しく減少するまでに、どれだけの時間がかかり、副作用が生まれるのか、ただ我々は指をくわえてそれを見ているしかないのか、という疑問は残るのです。