aemdeko

日々の仕事に必要な調べ物の結果や個人的見解を備忘録的に書いておくと他の人に役立つこともあるかも、くらいのノリで。対象範囲は人口構造、社会保障費、都市計画、行政運営、地方自治あたりになろうかと。

やっと読みましたわ/木下斉「稼ぐまちが地方を変える」

  と言う訳で、今週の東洋経済の連載も、バタバタしていて、やっと読み、

toyokeizai.net

 

その勢いで中断してた本書も読み終える。

 

 

 まあ、木下さんの主張については、「まちづくりデッドライン」の発売前後から、かれこれ2年くらいTwitterやら、先の連載とかで追っているので、個人的には目新しい話は、それほどありませんでした。

 毎回、同じ話になる、と言うのは、それだけ主張が首尾一貫している、ということで好感が持てますし、新書という読みやすい形式で、一気にマトメて読めるので、まだ彼の考えに触れたことがない人には、大変、入りやすいのでは、と思います。

 

まちづくり デッドライン

まちづくり デッドライン

 

 

 以上、終わり。

 以下、与太話。

 本論以外の細かい部分で、個人的に気になったのは、2点。

 

 1点目はどうでもよいくらい個人的すぎる話で、前から木下さんの過去の経歴を見るたびに、同じ時代に同じ場所にいたらしい気がしていたのですが、今回、木下さんがまちづくり活動に入る経緯を改めて読んで、おーやっぱりあそこのことかー、という本当に個人的な話ですいません。

 乙武さん(年齢1個違い、学年一緒)が有名になった当時、商店会の会長で、後に小泉郵政選挙国会議員になる安井さん、というおじさんが経営しているスーパーのすぐ裏に自分は住んでて、冷蔵庫代わりに、ほぼ毎日、買い物行ってたんですよねー(遠い目)。

 もっとも近くにいた、とは言え、

 ちなみにこの時、私以外の応募者はゼロ。…当時は見向きもされていませんでした。

 と言う訳で、自分も当時、まちづくり活動とか全く興味なかった、と言うか、そもそも、本キャンの近くに住んではいても、そこから大久保まで通っていた訳でして、自分がまちづくり的なことに関わることになるとか夢想だにしてなかったし。

 

 2点目。補助金について。一応、出す側の立場にもいたし、国から貰う仕事や貰うのを手伝う仕事も少しやったりした身として。

 補助金事業メニューというものがあり、「こういうことをやれば補助金をあげます」と使い道がもとから規定されています。そうすると、補助金をもらうことが目的化して、みんなが役所の推奨する取り組みばかりするようになります。

 本来は、まちづくり分野に限らず、特定の取り組みを推奨する、という補助金の機能こそが上手く回っていた時代もあったんだろう、と思います。いや、当時ですら本当に回ってたのかどうか怪しいとも思っているんですが。

 つまり、明治時代の富国強兵、殖産興業の世界や、戦後の復興期、高度経済成長期には、国を代表する知的エリートである国家公務員が、率先して海外の先進事例を参考にして、全国各地で同じことをやれば、日本も発展するから、そのエリートが考え抜いた事例を全国に普及させるために、国が交付金補助金を自治体に与え、それを財源に自治体がほぼ全国一律の施策を展開していた。

 各自治体では、各地域の実情を踏まえたアレンジも多少はしていたかもしれないけれど、基本的には、国が各事業者の補助申請を対応していると手間なので、自治体に申請事務を代行させていただけ。

 

 たとえば、ここ数年、昭和40年代に建てられた公共施設の老朽化が全国で問題になっているんだけど、どうも、その時代に国は公共施設建設を相当、推進していたっぽい。

 1つには、地域産業としての建設業の振興、という目的があっただろうし、もう1つは団塊世代の都市部への移動(東京圏に限らず、うちの街でも周辺農村部からの流入が相当あった)や旧市街地生まれの住民が郊外に「マイホーム」を求めたことで、新興住宅地が形成された時代で、郊外部の住環境改善、という側面から。あるいは都市の過密化抑制のために、率先して郊外を開発させたかったのかもしれないけれど。

 この辺の施策は既に、国が言うことを鵜呑みにしてよいのか、疑うべき時代が来ていた、と思うんですよね。

 

 翻って現代社会では、後半で木下さんも指摘しているとおり、国の職員がきちんと施策立案できるほど、先進事例に精通し、その成功要因を分析できているのか。あるいは、工業分野でもよく言われるように、西洋諸国に追いつき、西洋とは違う東洋的価値観も明らかになった現代で、日本がそのまま真似をすればよいようなモデル事例など、本当にあるのか。

 さらに、本当に地方創生、ということを考えたとき、国が主導する全国一律の活性化策としては、個別地域の差異を尊重するために、具体的な施策から相当程度、抽象化が必要であり、先進事例の共有、普及策として、使い道などを細かく規定する必要がある補助金、という制度が即しているのか。

 

 一方、国が頼りにならないとして、従来、国が示すモデル事業や、過去の事業を踏襲するだけで、自発的に政策立案してこなかった地方都市の自治体職員が、真に必要な課題解決策を独自に立案できるのか。

 もちろん、このインターネット時代、地方都市にいても海外を含めた先進事例をいくらでも漁れるし、メールやSNSで直接、担当者にアクセスすることもできれば、高速鉄道や飛行機、ビジネスホテルの普及で現地に行くハードルは低いのだから、自分たちの街に当てはめたときに何が参考になり、何を変えるべきか、ちゃんと研究している職員も、全国の自治体を探せば少しはいるだろうけれど、では、年功序列型人事制度を採用する地方都市の自治体で、彼/彼女の立案を受け入れる素地が上層部に、すなわち自分で考えたことがないベテラン職員にあるのか。

 

 地方自治体、という組織は(あるいは、成熟した組織というのは公民問わずどこでも)、年功序列型の人事制度を含めて、確立した事業を効率的に進めることはできても、課題解決のために、試行錯誤をしながら、新しい事業を起こしていく、ということには本当に向いていないと思う。

 

 補助金は公募開始の前に相当程度、内容を確立して制度化する必要があり、本来はその準備段階で現場と調整をしたいのに、制度化して公募するまで、中々口外できなかったり、事前調整できたとしても制度化に時間を掛けている間にタイミングを逃すことも、容易に想像できます。

 だいたい夏くらいに現場と調整できたとして、秋に課内や部内協議、それから年末年始にかけて財政担当との協議、で3月議会で予算諮って、4月頭に人事異動があって、印刷物の発注かけて、公募開始が6月、交付決定が7月、とか、事業着手まで丸々一年かかる訳で、普通に、民間側の人は自分でやった方が早い。

 まちづくり系の事業の場合、補助金使う相手がある程度、限定されるので、水面下で調整することはできるし、調整がすんでいれば、異動があっても遅れないような公募期間を設定することもできるけれども。担当職員のやる気と、それを許す上司の存在があれば。

 

 単に時間が掛かるだけじゃなく、過去や他市に例がない、本当に新しい事業になると、上司、財務、議会を納得させるための資料づくりだとかの事務量もハンパない。

 で、それだけ苦労して、新しい制度を立ち上げても、その成果が出るころには、担当者は異動してるから、そのことで業績を評価されもしない。

 だったら、既存制度をそのまま消化したり、役に立つかどうかも分からない国のモデル事業や、上司の思い付きみたいな仕事をこなしていた方が、組織人としては、圧倒的に賢いですよね。

 そんな仕事をしてて楽しいかどうかは知らないけど、少なくとも市役所には、マジメな人が多いので、「仕事なんだから楽しむなんて不謹慎」くらいに思って、こなしている人は多い気がします。

 楽しく仕事をした方がモチベーション上がるし、パフォーマンスもよくなると思うんですが。社会福祉とかと違って楽しめる分野なんだし。

 

 本来は、公務員の給料は、国からの交付金という外貨として獲得され、地方経済とは独立した給与水準によって、頭脳労働者を確保できるはずなのだから、地域の研究機関として(シンクしないシンクタンクとは違って)、先進的な取組を調査し、研究し、体系化し、自分たちの地域では、どのように取り組むべきか、を考える人たちであるべき、と思うのだけれど、現実には、補助制度以外のどんな手段であれ、結局は、硬直化した組織のために、試行錯誤をしながら少しずつ前に進める、ということが許されない組織ではある、と思うところ。

 せっかくの優秀な人たちを飼い殺すなんてもったいない、と思うんですが。

 

 「終わりに」の言葉も中々、響きます。

 

 何事も、やる人はすぐにやります。

 「何かをやりたい」と本気で思った時、人は衝動的に行動を起こします。「やりたいけど、リスクがあるからどうしようかな」なんて迷っているようなら、それは大してやりたくないことです。

 

 「やれるか、やれないか」ではありません。「やるか、やらないか」です。