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aemdeko

日々の仕事に必要な調べ物の結果や個人的見解を備忘録的に書いておくと他の人に役立つこともあるかも、くらいのノリで。対象範囲は人口構造、社会保障費、都市計画、行政運営、地方自治あたりになろうかと。

木を見て森を見る

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 とあるブログのエントリを読んで、違和感を覚えたので、勢いだけであまり考えずに粗っぽく書く。

 

 近代西洋の科学的思考、合理的思考の強みは、物事の些末な枝葉を切り落として、根幹だけに集中して、物事を単純化し、考えやすくする、ということにあると思うんですよね。いわゆる、抽象化。

 ただ、21世紀にもなると、その弊害も色々と指摘されていて、1つには、たった1つの成功パターンが模倣されて(枝葉の部分は無視したまま)、物事の多様性が失われていく。そして、ときには、枝葉と思われて捨てられた中に、隠れた重要性が見落とされていて、大きな障害が発生することもある。

 電子計算機技術の高度化によって、枝葉までも一挙に数理処理可能な時代、という流れもあって、何が根幹で何が枝葉かをきちんと見極めよう、というのが21世紀の考え方だと思う。

 

 で、きっかけとなった、こちらのブログ。

d.hatena.ne.jp

 

 ちきりんさんの主張は、地方活性化で大事なことは東京と張り合うことじゃないよ、(ひょっとすると今は偶然、東京に住んでいるかもしれないけれど)自分たちの地域で暮らす可能性がある人たち(顧客)とは、どんな人なのか考え(ターゲットの絞り込み)、その人たちにどうやったら自分たちの地域を伝えられるのか(マーケティング)、他の似たような地域は何をやっているのか見てみよう、ということなのだと思う。

 

 その点について、異論は一切ない。

 

 ただ、そのときに、街の分類が、東京と東京オルタナティヴ(メガシティ)、地方拠点都市(数十万都市)、田舎の農山漁村の3つに分けられてしまうと、人口10万ちょっとで、かつちょっとポテンシャルを信じて暮らしている街の住民としては、素直に同意できない。

 

 ちきりんさんは自分は大都市志向だと書かれているとおり、地方の存亡に対してご興味はないのだろうし、それにも関わらず、誰でもアクセス可能な地方論をしっかりと収集して、整理しているのは、さすがだなあ、と思うんですが、結局、こういう基本論は(抑えておくことは当然として)、何の解決にもならない。

 これから先、うちの街が問うていくべき街の姿、闘うべき競合を見ていくとき、こういう表層の区切り方では、問題の本質を見誤る。この区切り方で、うちの街がどこを目指すかを考えても、(この区切り方では)後発に甘んじる、うちらの街はレッドオーシャンに飛び込んで、血祭りになるだけ。

 これまでも地方自治体が、東京のコンサルに金太郎飴のような総合計画を作らせて、何も活性化せずに終わってきた、という構図は、まさにこういうことではないのだろうか。

 

 この3区分は確かに地方論に興味がない1億2千万人の日本人の大多数にとっては、理解しやすい基本モデルなのだろう。

 だけど、うちらがこの3区分に従う必要はない。

 

 この3区分以外に存在するのか? お前の街なんか知らねえよ、と言われても、うちの街が特に地方活性化の成功例としてメディアに取り上げられないのは、過去、そこまでピンチに陥っていないから、だと思ったりしていて。

 行政が特別な政策を実施しなくても、しっかりと地域に根付いた基幹産業があって、人口の流出を(ある程度は)食い止め、周辺人口を(ある程度は)吸い寄せてきたから、地域の活力を「維持」はしてきた。

 

 もちろん、日本全体の若者が減り、高齢者が増えていくこれからの時代、「維持」すらも困難になる可能性は大きくて、悠長なことは言っていられない。

 

 でも、そのとき、うちらの街が活力を得るために必要なことは、1億2千万人の日本人にとっては、枝葉として切り捨てられるのかもしれないけど、うちら10万人にとっては枝葉ではない、他の地域と違うこととは何かを突き詰めて考え、磨き、発信していくことなのだろう。

 外部のコンサルは1億2千万人向けの発言をせざるを得ない。だから、10万人のうちらに本当に必要なことを考えられるのは、やはりうちら自身しかいない。まあ、ときに外部の助けを借りるにしても、最後に決めるのはね。

 だから、ちきりんさんが言う「自分の頭で考えよう」ってフレーズは本当に大事だと思った次第。