aemdeko

日々の仕事に必要な調べ物の結果や個人的見解を備忘録的に書いておくと他の人に役立つこともあるかも、くらいのノリで。対象範囲は人口構造、社会保障費、都市計画、行政運営、地方自治あたりになろうかと。

世の中には怖い職場があるんですねー

 ダイヤモンド・オンライン、見に行ったら、なんとなく人事系の記事が目に留まって、読み始めたら、その連載のバックナンバーの方に、もうちょい気になる記事があったので、ちょいと紹介。3月の記事です。

 

 自分なりに思いっ切り要約すると:

 「女性が輝く職場!」みたいな触れこみで、今、そこそこキャリア志向の高学歴女性に注目されて、入試倍率が上がっている某企業の元社員。

 実際には入ってみると、社長も幹部職員も女性を活用する気は、さらさらない。社長の価値観を伝え、合わない社員は辞めればいいし、見込みがあるごく一部の社員は、女性ならではの仕事と言うより、男性と全く同じ幹部候補として抜擢する。

 大半の女性社員は、違和感を覚える前に、周辺の企業と比べて居心地の良さに慣れて残り続けることになり、やりがいのある仕事など与えられず、結婚・出産を機に体のいい安価なスタッフとして雇用切替される。

 しかし、この会社の居心地の良さはベンチャーとしての業績に裏打ちされたもの。社長の価値観共有を求め、同質性を高めている、この会社で将来の居心地の良さは補償されるのか。

 …という感じ。

 

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 うーん、個人的には、これからの組織は価値観を共有できる人だけが集まって、そうでない人は離れていく、というのは、ある意味、望ましい形だとも思うんですよね。

 よく言われるように、日本型企業が村落共同体が都市化によって崩壊した後、人をつなぎとめるイエ的共同体の役割を果たしてきた、という時代は終わって、企業の中で多様性を求めるよりも、市場全体として多様性が保持されれば、企業の中は画一化が進んでも仕方ないんじゃないか、と。

 村社会的な企業が解体したから、より組織内で多様性が認められるか、と言うと、それは組織である意味がなくなるので、今後は逆に、単に籍を置いている、以上に共有できる価値観が必要なのだろう、と。

 同質化が進むと、新しいことは起こしにくくなるかもしれない。でも、その結果、環境変化に対応しきれなくなった企業は撤退し、新しい価値観に基づく新しい企業がサービスと雇用を代替すればよい。

 

 問題なのは、労働市場流動性がそれほど高くないので、自分に合わなくなった、合わないと気付いたときも中々、辞めづらいし、辞めた後も、適切な組織とのマッチングがしづらい。一度、辞めてしまうと、切替コストが高くつく。

 だから、これから入る組織が自分に合う組織なのか、慎重に見極める必要があるのだけれど、企業の側は、その価値観を内部統制に使っても、外側には正しく発信していない。

 実際には、できるだけ多くの人員を採用して、合う人間だけを伸ばし、合わない人間を飼い殺しにする、という採用スタイルよりも、企業の側も正しく価値観を発信した方がコストが低く済むんじゃないか、と思うんですけどね。

 そこは企業の側が、悪辣なだけではなくて、、正確に自分たちを表現しきれていないだけ…と思うのは、性善説すぎますかね?

 

 翻って、地方都市の市役所について。

 1つは、市役所職員の同質性をどう考えるか。多分、上が意識しなくても、終身雇用、年功序列型の人事制度の中で、同質性の高い人間しか抜擢されないので、ほっといても同質性は高くなるよね。

 少なくとも、前の職場を振り返ると、あの人たちが狙って、こうしている、できるだけの手腕があるとは思わないのだけれど、偶然、世の中の仕組みとして、同質性が高まりやすい組織だったのだろう、と。

 まあ、今までの市役所には、間違って採用試験に受かってしまった異分子を抱えておく余裕があったので、幹部以外の職員、メインストリームじゃないところでは、そういう人間の居場所はあったけど、今後は、厳しくなっていくんだと思います。

 

 となると、同質性がさらに高まった市役所が、市場に晒されないなかで、環境変化にどう対応するか、という問題があるけれども、それは選挙によって選ばれた市長が変えていくしかないのではないですかね。

 ただ、選挙によって、市長が変わっても、具体的な事業を動かす段階で、肝心の職員を動かすときに優先するべき価値観は、市長の価値観(≒その後ろの背後にいる有権者の価値観)ではなくて、組織の、古参職員の価値観、ということになる。

 国政では、民主党はそこで躓いたのだろうし、そして前の職場の市長さんは、そこをひどく気にしていたようですが。

 どっちを向いて仕事をしてんだ? と思いますが、現実に物事を進めるためには、理想ばかりを言ってても仕方ないんじゃないですかね。人間だもの。

 

 だから、考え方は2つあって、1つは市役所は環境変化にはひどく遅くしか対応できないので、スピードが重要な案件は市役所に任せず、市場で解決する、というのが1つ。

 もう1つは、市長が変わるたびに、職員も価値観を共有できる人間に入れ替える。全員一度に替えるのは、さすがに無理でも、任期が4年なら、4分の1ずつ4年で全員入れ替えるくらいのことは、できると思いますが。

 もちろん、辞めた後の職員の雇用をどうするか、と、その裏返しの問題で、次に職員になる人間をどう確保するか、という問題はある。本来は、労働市場流動性が確保されて、民間企業で雇える形が一番、理想的なのだけれど、専門性とかを踏まえると、地方議員が政策集団を形成して、本当の意味での地域政党とかの職員として雇う形ができるなら、そこに公費を入れてもいいんじゃないの、くらいには思うんですよね。

 少なくとも、全職員一律に、と言うのが雇用市場の規模としてさすがに無理であれば、政策・企画系の一部の職員や、あるいは管理職だけでもね。

 まあ、基本的には、今の自分のスタンスは、市役所は環境変化には、尻尾を踏まれた恐竜くらいの遅さでしか反応できない、という考えです。

 

 もう1つは、女性が働く場所としての市役所について。

 これはもう、やりがいとかを過度に求めず、適度な居心地の良さを求めたら、地方都市では絶対、おすすめの職業なんだ、と思いますよ。上記の記事で表現されているような、ぬるま湯の職場として。倒産もないし。

 あとは、そういう職場だと割り切って生きることができるか、身動きの取れるうちにもっと違う可能性を探すか、ということですが、女性の方が現実的だから、なんか理想とか捨てて普通に対応できるんじゃないでしょうか。

 つらいことがあるとすれば、臨時職員の優秀なお姉さんたちと机を並べて、同じような仕事をしているのに、向こうは給料が自分の半分、という現実に、人として耐えられるか、という良心の問題は、まあ、あるかもしれない。

 でも、それも、向こうが新卒で市役所を受けなかった/受からなかったのが悪い、と言って自己正当化すればいいだけのことじゃないかなー。