「裸の王様」の言ってることを改めて考えてみたんだが
アンデルセンの「裸の王様」を最初に知ったのが、本だったか、保育所の紙芝居だったか、NHK教育のアニメや人形劇だったかすら、記憶が定かじゃないんだけれど、とにかく、今まで30年以上、ずっとあの話が説いているのは、
「オトナになると空気に流されて本当のことを言えなくなるけれど、客観的事実は批判を恐れず主張すべきだ」
という教えだと思っていたんですよね。本当に。
とは言え、アンデルセンの発表から200年近く、アンデルセンが引いたオリジナルのスペイン文学(は、読んだことないけど)は14世紀初頭の作品だと言うので、700年間もこの話が廃れずに受け継がれている、と言うことは、多分、そういう話じゃないんだな、と今さら気付いた。
これだけ基本的人権が広まって、言論の自由が認められ、科学的合理的態度と民主主義が普及して、一部の権威者の主観で処断されずに、言うべきことを言える社会になっても、ちゃんと言いたいことを言って生きている人が圧倒的に少ない現実を考えると、多分、「言うべきことを言おう」、という話なのでない。
で、改めて読んでみて思ったこと。
多分、人は偉くなると「降りる」ことが難しくなって、何となく間違っていると思いつつも軌道修正できずに、そのまま間違った行いを進めてしまう、という要素が1つ。
もう1つは、組織内部(特に階層型の組織)で認められたいと思っている人間は、権威者が間違っていることをしても、権威者を守るため(あるいは自分が権威者の機嫌を損ねたくないため)に、それを指摘せず、結果的に権威者により大きな損失を与える。
もちろん、民主主義社会では、「降りる」ことができない権威者とは、特定の一人ではなく、会議に出席している一人一人の平凡な個人(の集合体)であることもあるだろうし、守るべき権威者というのも、その組織全体であったり、その組織が責任を担う顧客や消費者、あるいは社会全体、ということもあるんだと思いますが。
いや、どこか特定の組織や人物を思って書いてるわけではなく、一般論としてね。
※ブルーハーツの「裸の王様」を探してきてリンクを貼ったりとかするわけないじゃないですかー
追記:
Wikipedia辿ってたら英語翻訳版のスペイン語原典「ルカーノル伯とパトローニオによる模範とすべき本」のうち、「7章 国王と3人の詐欺師に起きたこと」があったので、読みました。
そもそも、ドン・ファン・マヌエルという人は、カスティーリャ王国の王族に生まれて、複数の王に仕えた人で、特に年若の王の摂政も務めた、と言う人で、その王のために書いたのかは分かりませんが、この本は、君主が気を付けるべきことを、王が家臣に質問し、家臣が例を挙げて答える、という形式で説いているようです。
で、この話の場合は、「外部の人間から、『役に立つ助言をするが、他には漏らしてはならない』と言われたら、どうすべきか?」という問いから始まり、説話を受けて、結論として、「他人を信用するなと言う者、秘密を求める者には欺かれないよう、注意が必要です。その人間が自分の利益よりも、あなたの利益を重視する理由はなく、その人間が、あなたに恩義を受けた人間やあなたに長年仕えてきた人間よりも、あなたに貢献する理由などないから」で締めて、さらに筆者が、「秘密の助言をする者は自分の利益のために、あなたを罠にはめようとする」と教訓を記して、終わっています。
封建時代なので外部者よりも部下を大事にしなさい、と言う話なんだと思いますが、この話では、家臣も全員、自分の身分を守るために王を裏切っているのであって、問題の根幹は、冷静に最適解を出すに当たって、誰を、あるいはどの意見を信用し、どう議論を積み上げるか、と言うことではないかと思いますけどね。
そもそも外様の国王で、最初から信用できる部下がいない人(本人は信用してるつもりかもしれないけど、裏切る気満々の連中が周囲を固めてる人)とか、誰の言うこと聞くの?