ビリギャルの表紙の人の件で
普段、書いてるテーマと違いすぎるんだけども、ライフハック、という意味では、まあ、当てはまるからいいや、的な。
で、ビリギャルの映画版が公開されているそうで。
学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話[文庫特別版] (角川文庫)
- 作者: 坪田信貴
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/アスキー・メディアワークス
- 発売日: 2015/04/10
- メディア: 文庫
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この話、最初に、storys.jpでバズってたときに読んだけど、その後、書籍化以降の流れとかは、全然、追ってなかった。本屋で平積みしてあるのは見かけたけど。
※その点、「電車男」と同じくネットでバズることと、リアルでバズることの違い(マーケットの大きさとか)を見せつけられる感じはある。
※以下、本題に入るまで自分の立ち位置の説明が結構、長いので急ぐ方は、この辺まで読み飛ばしていただいて。
で、storys.jpで読んだときの感想は、遠い昔のことで忘れかけてはいるけれども、書いているのが塾の先生で、学校の勉強ができないけどやりたいって子に対して、どうやったらできるようになるか一緒に考えるのは、教える側の目線では、まあ、興味がない世界ではない。
自分も周りに勉強教えてくれと頼まれたり、個別指導の塾講師をバイトで実際にやったりしたこともあるので。
多分、何かモノゴトが上手く機能していないとき(この場合、勉強する気はあるのに成績が絶望的に悪い)に原因と対策を考えて、それを上手くいかせる、ってエンジアリング的な対象として、興味がある/あったんだと思う。
一方で、人に勉強を教えてくれって頼まれたときにもそう感じるし、この話や「ドラゴン桜」みたいな受験ネタに接したときも、そうなんだけど、実際問題、自分は偏差値を40も上げられるレベルまで(つまり30前後まで)偏差値を下げたことがないので、勉強ができない人、勉強をやって成績を上げた人には、中々、感情移入できない。
学校の勉強は、まあ、そりゃ地方の公立小中高出身なので、周囲に比べたら、全然、やってないってことはないんだけど、それでも勉強できる子たちに比べたら、教師からいつも「お前、少しできるからって、ナメてるとそのうち痛い目に遭うぞ?」と言われるくらい、勉強しなくても成績は常に上位にいたので。
一方で、体育の授業とか球技大会とか部活とか運動会とかでは「本気出せよ」と言われても、いやいや、出してるし、これ以上、努力できたとしても何も変わらねーよ、と思っていたし。
だから、自分の中では、努力をしたら世界が変わった、的な世界観に対して、本当に共感ができない。
なので、本人のその後とかも記事化されてるらしいんだけど、特に興味はなくて追っていなくて、2chでこのネタになると、以下のような感想が出るらしいんだけど、まあ、この展開になるのは理解できる(笑)
「元々お嬢様だし地頭がよかったんだろ」
「受験科目が英語と小論だけの馬鹿SFCかよ」
「大学から慶應のくせに偉そうだな」
「慶應とか所詮私立だろ。東大に受かってから言え」
「慶應卒業してもブライダル会社にしか就職できなかったのか」
で、そんなことは、どうでもよい。
以下、やっと本題。
本の表紙を平積みしてあるのを見たときは、てっきり本人の昔の写真なのかと思ったけども、そうではなくて、モデルさんなのだ、というのは、どっかで見て知っていた。
けれども、そのモデル、石川恋さんの話の方が、ビリギャルよりは、より多くの人に共感を持てるのではないか、と今日、本人のブログを読んでて、思いました。
タイトル「こいのきせき」って読んだけど、「れんのきせき」で自分の今まで、つう意味ですね。
いや、ビリギャルの話の功罪って、日本人はそういう話が大好きだけれども、努力をしたら報われる、的な話は、結構、無責任だと思うんですよ。
彼女のブログを読んでも、この表紙の仕事をするまで、夢に向かって努力をしても全然、報われてなくて、この表紙の仕事でようやく自信をつかむのだけど、それじゃあ、この表紙のために特別な何かをしたか、と言うと、そうでもない。
でも、大事なことは、結局、そういうことだろう、と思うのですよね。
諦めるタイミングなんてたくさんあったと思います。
でも諦めない決断をするタイミングってきっと少ない。
仕事を続けていくのが簡単な世界ではないけれども、賢い子だとは思うので、是非、自分のやりたいこと、得意なことを見極めて、歩いてってほしいな、と思いました。
以下、本人ブログ記事もう1本と雑誌取材2本。
髪、黒い方がいいと思う!