というわけで結局、市役所辞めました。
昨日、平成27年3月31日をもちまして、市役所を退職しましたので、お知らせします。
ここ数週間のエントリで、辞めそうな空気をご心配いただいておりましたが、
このエントリにあるとおり、
一旦、とあるオッサンに説得されて、もう一度、前向きに心構えをセットアップしようと思ったのは、紛れもない事実です。
でも、その翌週、人事異動の内示が出て、すっかり心が折れてしまいました。
このオッサンの言うところの、自分が仕事をしていく上での市長さんに対する信頼が完全に潰えてしまいました。
もちろん、引き続き、市長さんとしては立派な人だと思いますし、市民として応援したいとは思っています。
ただ、市役所が今後、どういう仕事を重視し、そのために、どういう人間、どういう資質を評価して、どう育成していくつもりなのか、を考えたとき、たとえば、上の一連のエントリや、こういう考え方のとおり
今まで自分に期待されている資質があるはずだと信じてきたけど、まったく期待されてないらしい、そこの部分の仕事は一切やる気がない、と気付いたのです。なので、ここは、自分たちのような人間の居場所じゃないな、と。
これ以上、個別具体の話に入ると、後ろ向きな話にしかならないし、別に、市長や市役所を批判してても、不毛だと思うし、その辺は、単純に価値観の違いであって、どちらが正しくて、どちらが間違っている、という問題でもないと思います。
と言うか、民主主義国の地方政府なのだから、市民に推戴された市長さんが正しくて、自分が間違っているんですよ。
後ろ向きではない、前向きな辞める理由を、以下に3点述べます。
産業振興でも今の仕事でも、今のうちの街に必要な事業だけれど、でもそれは市役所がやるべきではない、民間で誰かやんねーかな、と思ってた事業がいくつかあります。
で、誰かに人任せにせず、自分でやってみるタイミングなのかと思いました。
もちろん、今、それを誰もやってないのは、必要性に気付いてないからじゃなく、単純にメシ食ってくのが難しい分野だから、とは思っているので、キレイゴトばかり言ってられませんが。
2番目。
1番目とも絡みますが、地方創生とか言われてる中で、うちの街が人口規模の割にポテンシャルがあると思っているのは、うちの街が面白い街なのは、人に魅力があって、その人たちが出てくる土壌があるからだと思っています。
その土壌とは、うちの街には江戸時代から、侍でも農民でもなく、町人が仕切ってきた、という伝統があるからだ、と思っています。いまだに、協調性よりも、信念をもって自分の意志で物事を選ぶことが求められる社会、つまり、社長がやたら多い街だから、という仮説を持って生きています。
特に、創業者社長や、2代目3代目でも、社内創業、第2創業している、親とは路線変更していうような皆さん。
さらに、地域の人口を維持するために若い人が働ける場を増やすためには、統計的な産業構造論の視点からも、既存企業の業務拡大よりも、新規創業の方がはるかに有効なんです。
で、そう思ってるのに、自分がサラリーマンやってることの矛盾は、結構、気持ち悪い。
もちろん、新規創業企業の平均残存率とか考えたら、キレイゴトばかり言ってられませんが。
3番目。
これからの時代に、社会が確実に流動化していく中で、市役所が終身雇用の組織であっていいんだろうか、という仮説を持っています。もちろん、社会の流動化に対峙するために、ますます終身雇用の必要性が高まる可能性もあります。
でも、選択肢として、いつでも辞められる、というオプションを持てる世界であった方が、よりよい社会なんだろう、と思います。
本当は、市役所の仕事に違和感を覚え、時代の変化の中で自分のスキルをもはや市役所では活用できない、と思っているのに、他に生きる道もないから仕方なく市役所に残る、という人たちを養えるだけの体力は、市役所には残らない、と思うので。
どうにも、市役所辞めたら負け、職業変更したらアウト、みたいな空気がありますが、優劣ではなく、単純に向き不向きの問題で、そして、求められる資質は、時代の変化とともに時々刻々と変わっていくのだから。
理想は、自分がこれから起こすことが、市役所辞めたい人を雇えたり、独立創業支援できるような受け皿になれれば、とも思っています。とは言え、まずは何とか先例として食っていけるレベルになれるかも分からないような状況なので、キレイゴトばかり言ってられませんが。