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日々の仕事に必要な調べ物の結果や個人的見解を備忘録的に書いておくと他の人に役立つこともあるかも、くらいのノリで。対象範囲は人口構造、社会保障費、都市計画、行政運営、地方自治あたりになろうかと。

地方再生にコミュニティ再生は必要なのか

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 ま、結論から言うと、コミュニティができたからって(規模とかにもよるだろけど)、いきなり地方都市が活性化する訳じゃないし、コミュニティがなくたって、ビル・ゲイツポール・アレンみたいに突然、地元に帰ってきたヤツのおかげで街が変わっていくこともあるだろう。

 けど、地道で確実な再生への道を描こうと思ったら、まあ、コミュニティはあった方がいいんじゃないの。

 

 あ、ここで言ってるコミュニティってのは、いわゆる町内会組織のことではなくて(町内会も上手く機能してればコミュニティに成りうるんだけど)、世代、職業、所得、趣味嗜好、主義主張とかの属性ができるかぎり多様な集団で、とはいえ、バラバラすぎると、そもそも、つながらないだろうから、何か共通の切り口があって(町内会の場合は、居住地や住環境の維持活動が共通性)、人が何か新しいことを始めようとしたときに、そこに何か別のアイディアを付加できるような存在、あるいは、そういう人間を見つけられるような複合的な人間関係、くらいの意味で。

 というか、理想的には、まだ具体性が足りなくて形にならず、動き出せないアイディアに対して、何かを加えることで、具体の動きにつなげていけるような、そういう人たちの集まり。

  誰かが「○○やってみたいんだよねー」と言ったときに、「ああいいね、××したら、もっとよくなんじゃない?」とか「それなら▽▽が得意だよ」みたいなアイディアを加速させられる人間関係。

 

 で、地方の活性化とコミュニティづくりで言えば、震災直後の2011年4月に出た、山崎亮氏の本の影響が大きいのかな、と思うし、コミュニティの必要性や有効性も山崎さんの手法の成否と絡めて論じられていることが多いと思う。

 

コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる

コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる

 

 

 自分は山崎さんとは直接、話したことはないんだけど、この2011年の年末か、2012年の年初に1回と、1年後くらいにもう1回、うちの街の他の課が呼んだので、2度とも講演会を聞きに行ったし、2013年からは隣町が山崎さんの会社であるスタジオLを招聘してコミュニティづくり(?)に取り組んでいるので、ちらちらと知り合いの知り合いくらいが関わっていて、話には聞いている、くらいの距離感。

 

 そんな距離感でネットとかで書かれている言説とかも読んでると(アナログ停波以降、テレビは見てないので、、、)、批判としては、山崎さんたちのコミュニティづくりがそもそも上手くいってないんじゃないか、 って意見と、コミュニティができたところで地方は活性化しないんじゃないか、って意見が、混乱している気がする。

 

 本で読んだりや講演会で聞いた限り、山崎さんの手法は、「ほうほう、そうやって人を巻き込んでいくのか」と感心させられるものではあった。だけど、それと同じことを自分にも同じできるようには思えなかった。というか、容易に失敗する様が浮かんだ。何か細かいノウハウでもっと気を付けていくポイントがあったり、そもそもが山崎さんの性格や人生観みたいな個人的な資質に左右される要素があるのだろう、というか。

 で、そういう観点で、隣町や他の地域の事例を見聞きしてると、一躍時の人となった、山崎さん本人が一体、どれだけ地域に入れているのだろう、とは思う。あるいは会社のスタッフが代わりに入るにもせよ、山崎さんの手法がどれだけスタッフの自家薬籠中のものとなっているのだろう、と。あるいは、また、その地域に元々、住んでいる側のキーパーソンとのそもそもの相性を含めて、どれだけ動かせているのか。

 

 そもそもがコミュニティなんてそんなに簡単に作れるの? 生まれてないんじゃないか、動いてないんじゃないか、という観点では、そこが気になるところ。

 

 でも、たとえば、街の中で、ちょっと意欲があったり、特殊技能があったりする人たちが100人くらい集まって、そのうち30人くらいは元々、知り合いだったけど、残り70人新しい知り合いができて、まあ、そのうち半分の30人とは仲良くやっていけそう、だとする。

 まずは具体のアクションはどうでもよくて、まさに人と人がつながる場づくりとして、コミュニティ活動を始めたんだ、というなら、ハタからはしょぼく見えても、それはそれで意味があることなのかもしれない。何年後かに、そのときのつながりが元で新しい活動が始まる、そういう土壌になっているのかもしれない。

 特に、隣町の場合は、平成の大合併で3市町がくっついた街なので、そういう効果はあるかもしれない。

  もっとも、少し先の将来であっても、街全体を変えていくような取組みを起こすためには、人口の何パーセントくらいがそのコミュニティに入っているべきなのか、てのは抑える必要があると思う。あまりにも小さいコミュニティは、多分、タコツボ化していくから。あるいは、1つ1つのコミュニティは小さくならざるを得ないなら、それを何個作っていくのか。

 ちょっとウロ覚えだけど、山崎さんは講演で、人口数千人のムラくらい、街ならば1つの中学校区くらいだと適切な規模、と言っていた気がして、隣町の場合は、その点で言うと、もっとエリアをしぼるか、数を増やす必要があるんじゃないの、と思ってしまう。

 

 この辺りは発注する側の行政が何を課題と設定して、それをどのレベルで解消することを期待して、何を成果と考えるのか、にもよるのだと思う。

 

 街の中で新しい動きを起こしそうな面白い連中を掘り起こしてつなげる、という意味では、隣町のあの活動に参加した人たちは、新しい友達ができて、今後、何か新しい活動を起こすための土壌はできたんじゃないだろうか。

 ただ、ハタで見ている限り、今回、蒔かれた種から、発芽して花を開き、実を結びそうに見えるものは、あんまりなくて、せっかくのあの土壌を活かすには、また別の種を蒔いた方がいんじゃないの? とは思う。また別の切り口、別のテーマ、別の活動目的での集まりを、あの中から作る必要があると思う。

 ピーター・ティールが言うところの、志を同じくして活動を始めるマフィアは、まだ結成されていない、と思う。ましてや、そこに有望な人材を集め、資金を確保できるだけの仕組みをつくって行かなければ、やがて活動は停滞するし、活動が広がらない限り、街を変え、活性化させるなんて、無理だろう。

 

ゼロ・トゥ・ワン―君はゼロから何を生み出せるか

ゼロ・トゥ・ワン―君はゼロから何を生み出せるか

 

 

 その点で、隣町の今の取組は、奇跡に期待する博打のような状況に見える。今後、さらに継続的な支援を打ち続けるのかどうか、もうちょっとハタから眺めようかと思う次第。

 

 あと、そう、根本的にコミュニティ再生と地域再生の大きな差だなー、と思う、もう1点は、コミュニティづくりは、既に何らか仕事があってその地域に住んでる人たちのものだけど、地域再生には外から人が入ってきて、そこでメシ食う種が必要だと思うんですよ。

 もちろん、まずは市外とか東京から通いながら、そこの活動に関わって、関わる中で、自分で新しい仕事の可能性を見つけていく、って道もあるんだろうけど。

 あるいは農業や伝統工芸みたいに、仕事自体はあるんだけど、後継者がいない業種とうまく結びつける、とか。ただ、後継者がいない業種は大概、採算が合わずに若い人を雇えない訳だから、結局、そこはちゃんとメシを食える仕組みをやっぱり誰かが作らないといけないんだと思います。

 新しい人が必要とされて、金が支払われ、メシが食える仕組み、というのも、少なくとも、新しい友達が増えた、だけでは変わらないもので、意識して作っていく必要がある部分なんじゃないかな、とハタで見てて思う次第。