aemdeko

日々の仕事に必要な調べ物の結果や個人的見解を備忘録的に書いておくと他の人に役立つこともあるかも、くらいのノリで。対象範囲は人口構造、社会保障費、都市計画、行政運営、地方自治あたりになろうかと。

国会議員とか人間性よりスペックで評価すべきだけど、評価されるような傑物は国会議員を目指さない国になったんじゃないの?

 わざわざブログで書くほどのことでもないけど、自分の備忘録が他の人の役に立つこともあるかもしれない、という趣旨にのっとって、一気に書く。振り返らない。

 

 今、住んでる選挙区選出の衆議院議員が、実は高校で同学年なんですよ。と言っても、在学中に1回も話したことなくて(卒業後も話したことないけど)、立候補の噂を聞いたときに、卒業アルバムを見て、「あー、顔見たことあるわー」くらいの印象しかないんですけど。

 ちなみに大学も同じとこなんだけど、キャンパス違うし、接点まるでなし。そもそも、立候補時に初めてウチの大学に来てたって知ったし。

 

 で、なんで、そんなことを思い出したかと言うと、今日、経済産業大臣が辞任するっつうニュースを聞きまして、辞任するほどのことかね、と。

 

 大臣にせよ、そもそも国会議員にせよ、求められる資質というのは、政策を立案する能力であったり、あるいは官僚やシンクタンクが立案した複数の政策群の中から、対立する利害関係を調整して落としどころを探ることであって、別に人間性だとか潔癖さとかは、どうでもいいし、こういう事件で辞める必要があるのだろうか。

 あるいは、そもそも、そういうことが政治家としての資質を語る上での論点とすべきなのだろうか、と。

 

 と言っても、彼女については、「平成」って額を掲げてたメガネのオジサンの娘とか、2000円札とかいう何の意味があるのかよく分からない紙幣を発行して、みんな意味を理解してないから使われずに10数年、という実績をつくった元首相の娘、くらいの印象しかないので、別に擁護も肯定もする気はないんですけど。


※もう一人のおばさまについては、ウチワ云々の前に大臣就任前後から、言動が完全にアレだったので、よく大臣とかやらせますね、と思ってた。

 

 なので、彼女については、上に掲げたように本来、政治家が具備すべき、と私が考えるような資質を持ってるか、って言うと、それらの資質があるのかどうかも分からんなー、と(あんまり、ありそうにも思えないなー、と)。

 

 

 で、今回の問題が露呈した本質というのは、根本的に、そういう資質が欠けた人、人間性でのみ評価されるような人が国会議員になっちゃう、というか、それ以前の問題として、そういう人しか国会議員選挙に立候補しない現実があるんじゃないだろうか。

 

 …とヒトゴトのように考えてみたところで、冒頭の地元代議士先生を思い出した次第であります。

 高校時代、その人とはまるで接点がなくて、一度も話したことがないので、印象だけで評価するのもフェアじゃない、とは思いつつも、傑物であれば噂くらいは聞こえてくると思うのだけど、別に、高校時代、そういう話は聞かなかったなー、と。

 あるいは、もっと直截に言って、立候補時の選挙公約は「こいつ、バカなのかな?」という印象しかなかったし。

 もちろん、政治家には政策立案とかよりも、落としどころを見つける技術も必要と思うので、たとえば、威張りたいオッサンたちを手のひらで転がす能力みたいに、私が逆立ちしても勝てないような何がしかの能力も持っているのだろう、とは思うのですが。

 

 で、じゃあ、本来の政策立案とかに関して、自分の方が政治家としてスペック高いと思うなら、国会議員に立候補すればって話になるのですが、少なくとも自分は、あんなツマんない仕事よりも、もっと社会に貢献しつつ自分も楽しめる仕事が他にあると思うのです。

 そして、この地域内にも、もっと優秀な人はいるだろうけれど、それらの人にとっても、国会議員というのは、もはや魅力的な仕事ではなくなっているのだろう、と思うのです。

 

 また、一方で、二世議員問題や、まさに今回の辞任劇でも話題となっている後援会組織の在り方のようなものを考えたときに、それらの団体が本当に適性のある、資質を備えた人物を発掘し、抜擢できるか、というと、そちら側の機能も、あまりうまく作用していないように思います。

 

 となると、適性を有した政治家が誕生することが困難な社会では、なるべく政治家に権力を与えず、市場の中であらゆる問題を解決していく社会を目指していくのが、自然な流れなのだろう、と思うわけです。

 あるいは、人々が自由を求める中で、政治権力を制限するからこそ、有為の人物が政治家を志さなくなっているのかもしれません。

 その辺は、バウマンの話とも関連してくると思いますが。

 

 今日、読んでいた本で、地方自治の可能性を現実的に捉える上での課題として、地方選挙の投票率や立候補者数の低下、という問題が指摘されていて、そんなことを考えました。20年前の本ですけどね。