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日々の仕事に必要な調べ物の結果や個人的見解を備忘録的に書いておくと他の人に役立つこともあるかも、くらいのノリで。対象範囲は人口構造、社会保障費、都市計画、行政運営、地方自治あたりになろうかと。

And Then There Were None.../増田寛也編著「地方消滅」

 

 

 底の浅い本。

 

 編著者の増田寛也氏のこれまでの業績もたいして知らないし、現在の立ち位置や狙いも興味がないので、本来であれば、その一言で捨て置いてもいいような内容でしかない。本にするほど内容が詰まってないとご本人でも思いつつも、誰かに言われて、急きょ出版することになったのかもしれないし、後半を対談、鼎談で埋め合わせているのも、そのせいかもしれない。

 

 ただ、無視できないのは、これが平成27年度の国家予算編成に大きな影響を与えそうだからだ。新しい国の指針を示すことになる、と言うよりは、これまでの各省庁の既存施策について、延命措置を図る上での理論上の裏付けとなりそうな雰囲気だからだ。

 

 もちろん、9月初旬の国の地方創生本部の立ち上げや、創生担当大臣の任命以来、 マスコミでも既存施策の焼き直しではないか、とか、これまで度々失敗してきた縦割りの打破が今回もできるのか、といった懐疑的な論調も目立つようにはなってきている。それでも、政府あるいはそれらの補助金交付金を使う側の地方自治体に、本当に現実を見る目があるのか、どうしても危惧してしまう。

 

 確かに、今の日本で少子化問題についての根本的な誤解があり、それを解こうとする著者の姿勢は理解できなくはない。

 だったら、それだけの内容にとどめておけばよいのだ。現実認識の啓発にとどめて、その解決策など提案しなければよい。解決策も提案しなければ片手落ちだというのなら、その解決策についても、もっと深掘りをし、検証を行うべきで、この程度の内容であれば、何も言わない方がまだマシとしか言えない。

 

 今の日本で少子化問題が取りざたされるとき、出生数にばかり目がいくので、大きな誤解があるのは、事実だと思う。

 つまり、現実には、結婚しない人や、結婚しても晩婚化する人が増えているために、子供を産む母親の数そのものが減っているのである。1人の母親が子供を産む数自体は、晩婚化の影響で減っている、とはいえ、大きく減っている訳ではない。

 

 もちろん、従来の少子化対策が、すでに子供を産んでいる≒産める状態にある人に対して、プラス1を求めていくのは、結婚していない人たちへのアプローチよりも、費用対効果としては効率的だろう(し、目的と結果が明確で政策評価しやすいだろう)。

 でも、基本的には、効果的に施策が届く対象者自体が圧倒的に減っている、そのステージまでたどり着かない人が増えている、という現実の認識は必要だろう。

※産み育てやすい環境づくりをすることで、まだ結婚、出産に至っていない人たちの背中を押す効果もあるのかもしれないが、それは薄い因果関係でしかない。

 

  団塊世代の子供たちである、第2次ベビーブーマーが親となるべき年齢に達し、出産適齢期を終わりつつあるのに、第3次ベビーブームは起きずにいるのである。そして、今後は母親になることができる若い女性の数そのものが減ってくる。 

 

 そのこと自体は、大変、重要な現実認識だと思う。

 

 …もっとも、そんなことは、地方都市に住んでる30代にとっては当たり前の現実だし、地方都市の市役所で統計をまじめに見ている公務員にとっても、何を今さら、という話でしかないのだが。

 

   ※   ※   ※

 

 増田氏らの主張のもう1点は、その際、大都市ほど子供を産みづらく、地方都市ほど子供を産みやすい環境があるので、積極的に若者、特に子供を産める若い女性を地方都市に移していくべきだ、ということである。

 

 この人、バカなのかと思った。

 

 国のキャリア官僚出身で、県知事をやったり、総務大臣をやっているくらいだから、優秀なんだと思うけど。

 だとすると、やっぱり、この人にも何らかの思惑があって、その思惑を達成するための論拠として、人口問題を持ち出しているだけで、本質的には日本の人口減少になんか興味がないんじゃないか、と疑ってしまう。

 この提言と国の施策動向に関わる一連の記事の中で、増田氏本人も頻繁に登場し、「議論のきっかけ」といった説明をされているので、もしもご本人がこれまでの評価や地位をすべて捨てる覚悟で、敢えて議論喚起のために、道化を演じているのであれば、それは立派な姿勢ではあると思う。

 

 でも、日本の人口維持のために、若い人が地方に行くべきなのか?

 

 根本的に、地方都市よりも大都市が子供を産み育てにくいのは、地方都市在住者の多くが両親や頼れる親族が、地理的・時間的に近接して住んでおり、一方で、大都市在住者には地方出身者も多く、頼れる人が身近にいないから、ではないのか。そういう主張は本文中にも見える。

 だとしたら、必要なことは、今、大都市に集まっている人たちを地方に向かわせる施策ではなく、今、地方にいる人たちを地方にとどめる施策、地方から大都市に出てきた人たちを地元に帰らせる施策ではないのか。

 大都市で生まれ育った人が、地方に行ったら、今、大都市で起きていることと同じで、結局、彼らは子供を産めないのではないか。

 地方に行ったら、みんないい人たちばっかりで、血縁者じゃなくても、子育てを手伝ってくれるのか。そんな訳ない。

 

 だとしたら、少なくとも、国策を論じようという限り、次の点の分析が必要なのではないだろうか。

 つまり、出産可能世代の大都市在住者と地方都市在住者の比較だけではなく、それぞれのうち、自分の出身地、あるいは親の居住地がどこなのか。

 

 日本の人口移動が工業化の中で農村生活者の都市への移住に伴って発生した、それのピークが高度経済成長期であり、人口集団としても団塊世代の影響度が大きい、というならば、既に親世代が東京に住んでいる出産可能世代や、今後の予備軍がどれだけ存在するのか、という議論は必要ではないか。

 彼らにとって、子供を産み育てやすい地元は、親が暮らす大都市なのだから。

 

 子供の産み育てやすさを親や血縁者に求めるのではなく、社会福祉として実現すべきだ、というのは当然の主張だ。

 だったら、なおさら、人口の多い大都市でこそ、社会福祉の充実を図るべきではないのか。

 

 もちろん、大都市で子供を産み育てにくい原因の1つには、支援者との関係だけでなく、そもそも社会の構造的に産み育てにくい面もあるのかもしれない。

 たとえば、分かりやすい面では、地価が高騰し、大都市中心部では付加価値の高い商業機能以外、立地しづらく、若年層ほど郊外から通勤せざるを得ない。また、福祉施設も中心部では立地コストがかさんでしまう。

 ただ、その問題は大都市と郊外の関係性で解決すべき問題であって、大都市と地方の問題ではないのではないか。少なくとも、本作では、地方でも中核都市に一定の集積を図り、コンパクトシティを目指すべきとの示唆があり、それは結局、地価高騰による、通勤時間や福祉施設の立地問題を地方にも植えつけるのではないか。

 程度の問題、という気はするが、それであれば、人口問題をあれだけ統計を用いて分析している以上、大都市と郊外、大都市と地方都市、地方都市中心部と郊外の関係における、それぞれの地価や通勤時間、福祉充実度といった問題についても、数値的な分析が必要なのではないか。

 

 以上、本作の中心である、日本の人口維持のための地方活性化に関する議論について、まずは、そもそも東京一極集中を是正すべきなのか、という点で疑問を示した。

 

 なんで地方都市に住んでて、まだ子供のいない、しかも市役所職員の俺がこんな大都市での育児環境充実を訴えるような疑問を示さなければいけないのか。

 

 それは戦後、国主導の政策的な東京集中はあったかもしれないが、それだけではなく、バウマンが「リキッド・モダニティ」で主張するように(感想はこちら)、人間が自由を求める結果としての、大都市集中や人口再生力の低下、という現実があるのはないか、と考えるからだ。

 その現実を直視しない限り、自由を求める人がなぜ大都市に向かうのか、という理由に対して確実な対策を取らない限り、大都市集中を抑制できないのではないだろうか。

 

 本書で提示される地方消滅の危機や、地方再生策の有効性については、稿を改めて記したい。