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日々の仕事に必要な調べ物の結果や個人的見解を備忘録的に書いておくと他の人に役立つこともあるかも、くらいのノリで。対象範囲は人口構造、社会保障費、都市計画、行政運営、地方自治あたりになろうかと。

【都市】これからの街の本屋、街の商売についての1つの答え

 自分がそんなに読書家だとは思っていない。読むスピードは異常に遅くて、年間、何冊も本を読める訳じゃないし。

 

 ただ、文章を書くことを仕事にしている親にそんな名前を付けられて、小学校に入ってしばらくするまで、毎月のお小遣いの代わりに、市内の本屋に連れて行かれて、1冊、本を買い与えられる、そんな育ち方をしてきた。

 病気をすれば、小児科の待合室にある絵本の類は、とっくの昔に読破してあって、さらに追加で1冊買ってもらったり、図書館に寄って行くこともあった。

 本を読んでさえいれば、1人でほっといても大丈夫、という子供だった。

 

 今年、前から噂には聞いていたけど、実際には行く機会がなかった本屋に2軒、行ってみた。

 去年の4月から、こういう仕事に変わって、「人が足を運ぶ場所」、というのに興味もあったし。

 

 その2軒の本屋で、「ああ、自分は本が好きなんだなー」と思った。少なくとも、今はともかく、「本が好きな子として育ってきたんだなー」と思わされた。

 

 1軒は、代官山のツタヤで、「あっそう、ふーん」という感じ。

 なんか店に1歩、足を踏み入れた瞬間、「私たちは、あなたたちのような本好きを相手に商売はしていません」というメッセージを受け取った。

 いや、そういう商売は、アリなんだと思う。むしろ、本好きという狭い客だけを相手にしている商売よりは、社会的な価値も高いのかもしれない。

 今、これだけ、Amazonとかが普及して、「本」という「モノ」が欲しいだけなら、ネットで買えば届けてくれる時代、あるいは、「本」に印字された「物語」や「情報」だけが欲しいなら、Kindleとかを使えば、即座に手元に莫大な量が届けられる時代、本屋には、モノとしての本以上のものを提供する機能が求められているのだろうから。

 特に大規模な企業体が多くの従業員の生活を支えていこうと思ったら、今まで本屋として営業してきた人たちも、本以外のものでもしっかり利益を出していく必要があるし、そのためには今までと違う客に来てもらう必要もあると思う。

 たとえば、自分も東京に住んでいたら、本を買うのとは違う理由で、何か別の興味がある分野のイベントを見るために行くこともあるかもしれない。

 まあ、東京に住んでないから、二度と行かないと思うけど。

 

 もう1軒の印象的だった本屋さんは、新潟市新潟市役所のほど近くにある「北書店」さん。元々、古町という繁華街にあった本屋さんの最後の店長を務めた佐藤さんという人物が、その書店の遺産を引き継いで一人で立ち上げた本屋さんで、中心市街地の衰退と可能性、というストーリーで、ちょっと話題になっている。

 まあ、詳しい話は、このリンク先の佐藤さんの対談記事(全5回)を読んでもらうといいと思う。

 この店には、一歩、入った瞬間、「わお」って感じがした。「あなた本好きですか? この本、お読みなりました? だったら、こっちの本もお好きじゃありません?」みたいな感じ。

 

 もちろん、この対談記事の中で、佐藤さん自身も語られているとおり、街の本屋を取り巻く状況は簡単じゃなくて、夢だとか理想だとか、そういう青くさい考えだけで、毎日の売上げと支払いの間を埋められるほど、甘い商売ではないと思う。

 この北書店さんのやり方が、唯一絶対のこの先の本屋が生き残る道だとも思わない。

 

 ただ、これからインターネットが普及して、大規模の商店もますます資本を蓄積していく中で、小規模の個人商店がどうやって戦っていくのか、ってことを考えたときに、本屋に限らず、色々な商売をやる人にとって、あの考え方、あの店づくりは結構、参考になるんじゃないか、と思う。

 あれは自分の性格には合わない、ああいうことを自分ではやりたいと思わない、って人でも、じゃあ、ネットと大手と北書店さんと自分のやりたいことを突き合わせて比較するだけでも、色々と見えてくることはあるんじゃないかと思う。

 

 北書店さん、多分、俺自身、この先も年1回くらいしか足を運ばないと思うけれど、オススメです。

 と言うか、自分が親に買って貰ったように子供に本を買い与えるとしたら、多分、紀伊國屋とかジュンク堂じゃなくて、北書店さんみたいな店がいいなと思うんだけど、まあ、まだ当分、子供に本を買い与える行為には無縁に思えるからね。

 

  ※   ※   ※

 

 ちなみに現代人の活字離れについては、ネットがこれだけ普及しているから、本は読まなくても文章を読む経験は爆発的に増えていると思う。

 ただ、本で読みやすい文章とネットで読みやすい文章は、文体も文量も違うと思うし(あるいは情報の流動性とか蓄積性みたいな質の点でも違うかもしれないし)、グーテンベルクが登場した後、版画、写真、映画、ラジオ、蓄音機、テレビ、ビデオが普及していった過程と、それらとネット上の写真や動画サイトの充実を考えると、この先も安定してって話では全然ないと思うんだけど。

※ネット上の動画の普及については、流通(通信)コストはもう大丈夫かと思うけど、文章に比べると、制作コスト、特に編集ノウハウってのは、まだもう少し埋まらないんじゃないか、と思う。