aemdeko

日々の仕事に必要な調べ物の結果や個人的見解を備忘録的に書いておくと他の人に役立つこともあるかも、くらいのノリで。対象範囲は人口構造、社会保障費、都市計画、行政運営、地方自治あたりになろうかと。

【雑文】予想と違ってたけど、まあ、何か得るものはあったかな/ジョン・アーリ「社会を越える社会学―移動・環境・シチズンシップ」

 と言う訳で、途中になってたジョン・アーリ「社会を越える社会学―移動・環境・シチズンシップ」を再開して、読了。

 

社会を越える社会学―移動・環境・シチズンシップ (叢書・ウニベルシタス)

社会を越える社会学―移動・環境・シチズンシップ (叢書・ウニベルシタス)

 

 

 もうちょっと自動車の発達、普及が社会に対して、どういう変化を及ぼしたかって話かと思ってましたが、そちらについては、前回の「自動車移動の『システム』」の中に基本的な論旨は言い尽くされていて、こちらはタイトルのとおり、社会全般の記述が中心。

 

 ざっくり言うと、鉄道、自動車、飛行機の登場によって、人間の行動範囲が広がった。特に、自動車は、個人の自由意思でどこにでも行ける点が大きい。同時に、メディアや通信技術の進歩で、移動を伴わずに近くできる範囲も広がった。それによって人間の時間、空間の認識に変化が生じている。

 社会学という学問は、元々、一定の地理的な広がりの内側にある、階級や男女差、収入といった違いに着目してきたけど、今や一定の地理的な広がり、と言うものが、個人の生活においては、すなわち社会学の研究対象としては、意味をなさなくなっているのではないか…といった内容。

 

 確かに、市役所で仕事をしていると、市外に住んでて市内に働きに来ている人もいれば、市内に住んで市外に働きに出ている人もいて、地理的な境界を背負う市役所の仕事が、そういった市民生活ににどれだけ寄与できるのか、と疑問に思うこともあったし、世の中は、こういう方向に進んでいるんだ、と言うのは納得できるところ。

 ただ、それを理解したところで、あまり解決策はないと思うのだけど。と言うのは、行政はアーリも指摘する通り、どんどん積極的な介入や場の創出から、背景の調整に回っていくことになるのだろう、とは思うのだけれど(この辺に関して、次にハイエクとかを読もうと思っている)、しかし、空気のように存在を感じないものに政治、行政がなったときに、選挙制度が機能するのか、という課題もあり。

 そして、日本の地方自治体の場合、何をやって何をやらないかの選択肢を国に握られていて、裁量がない面もあり。

 まあ、個人的には何となく行政は、市民に判断基準やその材料となる事実を示すだけのメディアのような存在になっていくんだとは思っているんですけどね(この辺は、マクルーハンも読む予定)。

 

 どちらかと言うと、今後の行動指針に示唆を与える本、と言うよりも、100年とか200年くらい経って、未来の人が21世紀の変わり目を振り返ったときに、当時の世界を知識人はどう眺めていたか、その後の思想の変化はどのように進んだか、とかを知る道標的な評論だと思いました。

 

 あと、こないだも書きましたけど、西洋人の世界の認知の仕方に、だいぶ違和感があり、その辺を生真面目に翻訳する姿勢にも違和感があり、結構、内容に関してアタマに入ってなかったり、咀嚼できてなかったりして、著者の主張を正しく飲み込めてない部分もあるんだとは思います。