aemdeko

日々の仕事に必要な調べ物の結果や個人的見解を備忘録的に書いておくと他の人に役立つこともあるかも、くらいのノリで。対象範囲は人口構造、社会保障費、都市計画、行政運営、地方自治あたりになろうかと。

【都市工学】【経済】日本の地方都市の場合、都市内部の格差というより、都市全体が没落する可能性として読んだ

 先日のニューヨーク市長選で勝利したデブラシオ氏が政策の中心に掲げたのは、貧富の差の拡大再生産にどう歯止めをかけるか、だ、そしてその難しさについて、という記事。

 

Why It's So Incredibly Difficult to Fight Urban Inequality - Richard Florida and Stephanie Garlock - The Atlantic Cities http://www.theatlanticcities.com/neighborhoods/2013/11/why-it-so-incredibly-difficult-fight-urban-inequality/7519/

 

 オバマ政権でも注力しているのだけど、個人の才能と意欲と努力があれば未来は無限に広がる、というアメリカにおいて、近年、生まれたときの違いで、そもそも与えられる機会の違いが大きすぎて、貧富の差が克服しがたいほど、広がっている、という問題。

 それも親の教育水準や収入よりも、住んでいる地域内の近隣住民全体の影響が大きいので(ド田舎じゃないなら、親と、友人を含めた近所の人との接する時間や情報量を考えれば当然だけど)、都市の中で、富裕層が暮らすエリアと貧民街が隔絶して、ますます交流が薄まって、差が拡大していく。

 

 記事中リンク先の住宅都市開発省(?)の政策内容を見ても、失業者に対する再就職支援以外に具体的にどういう政策で対応していくのかは、よく分からないけれども。

 

 で、この記事を読んで、ヒトゴトじゃないなあ、と思ったのは、東京とかみたいな大都市ならともかく、うちの街みたな地方の中小都市では、多分、街全体が貧民街化する可能性もあるよね、というのは、実は、結構、昔から考えているところ。もちろん、アメリカのスラムみたいなヒドいことにはならなくても、東京に生まれただけで、うちらの子どもたち(まだ、いないけど)よりも、ポテンシャルが高くなるって事態は、充分ありうるし、既にそうなっているのかもしれない。

 たとえば、うちの街には私立の小中学校なんかなくて、全部、地元の市立小中学校だから、金持ちの子も貧乏人の子もインテリの子もバカな子も全部一律に多様な子どもが集まる。キレイゴトじゃなく、そこには問題のある家庭に生まれて大変そうだなっつう子もいて、でも、まあ、うちらも彼/彼女を見て学ぶことはあったし、彼/彼女もうちらから学びたいと思えば学ぶ可能性はあった。

 高校も階級分けされるとは言え、実質5つの公立高校(普通科3つと商業、工業)が基本的な選択肢で、そこは成績順にほとんど上から5段階に決まっていて、その5ランクにハマりきらない中間の人たちが中間の私立(市外にしかない)や少し離れた公立高校を狙うって感じだった。

 ところが、大学はうちの市内には存在しない。県内にある国立大学は、あまりレベルが高いとは言えない。まあ、実際、社会に出てから、そこの大学出身の人たち(市内にも山ほどいる、てか、そこのOBしかいない)と会う限り、それほど悲観することでもないのかもしれない、とも思うのだけど。

 基本的には、学力に関して、高みを目指せば、県外の大学に出ざるを得ず、そして県外の大学に出た人たちは、県外で就職して、そのまま県外に残りがち。県内の大学に行った人も、結局、市外の企業にそのまま就職することが多い。

 うちの街では高校を卒業して25歳くらいまでに、だいたい3割を超える人が街からいなくなってしまうのだけれど、それは学力という視点で測ったときに、均等に3割ではなく、かなり偏っている気がする(裏付ける統計はないけれど)。

 昔は、県外の大学に行くのは、企業経営者の息子たちだった(うちの街は全国に比べて、中小零細企業がやたら多い街としても知られている)。だから、彼らは大学卒業後、しばらく東京とかの会社で丁稚奉公をしたとしても、会社を継ぐために帰ってきていた。

 ところが、高度経済成長が終わって、企業の統廃合が進み、新たな独立企業も減ってくると、そもそも企業の数も減っていて、当然、企業経営者の息子の割合も減っている。既に自分たちの世代ですらも、うちの高校に来る人間の親の職業は中小零細企業の経営者よりも、教師や銀行、市役所、周辺中堅企業の社員とかの方が多かった気がする。

 まあ、ウチの街の風潮として、実学を重視して虚学を軽んずるところが、特に会社経営者の人には多いので、小中学校時代、意外と親が会社やってるヤツの方が、成績が悪かったりもした。景気がいい時代で、自分たちの苦労を息子に負わせたくない、とか思って甘やかしてたのかもしれないけど。

 だから、少なくとも「学力」という点に関して、うちの街はマイナス方向の拡大再生産は進んでいるんだろうと思う。もちろん、街に活力をもたらす、優秀な人材、と言うのは、学力だけでは測れないとは思うのだけれど、でも、現代社会を前に推し進めているのが、科学であり、科学とは再現可能性であり、巨人の肩に乗って前を見通すものだと考えたとき、学力、つまり知識を整理して積み上げていく能力というのは、ないよりはあった方がいいものだ、と思うのですよね。

 

 あと、蛇足ですけど、実学と虚学で思い出したんですが、学校教師になるタイプの人って、だから、うちの街ではまず尊敬されないタイプの人が多くて(現実社会と向き合うための手段として勉強するより、勉強そのものが好きって人) 、それもあってか、うちの市内、特に人口が集中する市街地の小中学校って、教師の皆さんから赴任先として人気がないらしいです。その辺も、うちの市民が勉強に気が向かない理由の1つにもなったりするのかと思います。その教科が好きになるかどうかって先生との相性とかもあると思うので。

 

 学校の勉強…は、まあ、しなくてもいいと思うんだけど、生きるために何が必要かを自分の頭で考えて、考えるための判断材料として、広範な知識を仕入れておくってことは、大事だと思うんですけどね。

 そういう意味で、うちの街の将来ってマジで大丈夫なんだろか、うちの子どもが(まだ、いないけど、つか産んでくれる相手もいないけど)育つ環境として大丈夫なんだろか、とは結構、思ってます。

 

 あと、改めて、この文章を読み返してみても、大学を卒業して学力以外の能力も持った優秀な人間の選択肢が、まず就職に向かっていて、彼らが(別に高卒とかで優秀な人でもいいけど)、うちの街で新しい事業を立ち上げるっていう可能性が乏しいし、新しい事業体の成立って部分を支援していかないと本当に街全体として活力が長い間に失われていくんだろうな、とも思いました。