【経済史】題名どおり国家の衰退の原因がそうなのだとしても繁栄の糸口にはならず…
と言うわけで、やっとアセモグル/ロビンソンの「国家はなぜ衰退するのか」上巻を読み終わった。
- 作者: ダロンアセモグル,ジェイムズ A ロビンソン,稲葉振一郎(解説),鬼澤忍
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2013/06/21
- メディア: 単行本
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下巻はこれからなのだけど、上巻を読むのにも途中、停滞を挟んで1カ月くらい掛かってしまっており、下巻を読み終わるまでに上巻の内容を忘れてしまいそうなので(既に忘れかけている)、一旦、感想を書く。
著者らの主張によれば、国家の繁栄をもたらすものは、気候や資源といった地理的条件でもなければ、宗教などの文化的な条件でもなく、政治制度にしても決定的な条件とは言い難く、どれだけ自由な競争が行われるかだけが重大な差異をもたらす、と言う。
人々の挑戦に対する見返りが保障され、リスクを背負って競争を行うインセンティブを持ちうる、という経済制度を維持可能かという点でのみ、政治制度は国家の繁栄に寄与する。
国家権力があまりにも脆弱であるとき、市民の財産権を守る警察権、軍事権が及ばないため、人々は成果を略奪される危険性があり、新しい挑戦のリスクを取りづらい。一方で、国家権力があまりにも強大になるとき、大抵は権力者達が自らの富(それが権力の源泉であるから)を守るために、しばしば市民の自由な競争を規制し、阻害し、国家の繁栄は達成されない。
もちろん、これは権力者たちのさもしさや弱さだけに由来するのではなく、一度、成功したシステムを安定的、効率的に運営していこうとすると、システムが硬直化し、成長性を失ってしまう、という側面もあるのではないかとも思うのだけれど。
・・・と、こう書くと本書の表題が「なぜ衰退するのか」であるように、衰退する条件は分かるのだけれども、どうやって、その自由な競争を確保していくのか、を考えると、その環境はほとんど偶然にしか生まれないのではないか、と思わされる。自由競争の阻害は回避できるとしても、自由競争の萌芽自体は、人の手では、どうにもならないのではないか。
個人的に興味深かったのは、西欧と東欧で全く違う道を辿ることになったとはいえ、西洋で市民革命や産業革命に至った起点は、ペストによる人口減少(労働力の不足)にあった、という視点。今後、人口減少社会が不可避な我々が、どのようにして競争力を保っていくのかに当たり、この辺りは改めて見ておく余地があるのではないだろうか。
また、何だかんだ言って、文化は関係ないと言うが、「自由競争こそが繁栄をもたらす」、という視点そのものが、今のアメリカ文明を象徴するもの、今のアメリカ以外からは生まれてこないもの、今のアメリカと切っても切れないもののようにも思える。
とは言え、この点に関しては個人的には、今のアメリカが繁栄していることは疑いようもない事実であり、おそらくは我々が生きている時代、というくらいのタイムスパンで考えれば、「自由競争が繁栄の源泉」という視点は事実なのだろうと思うし、それそのものを否定する気もないのだが。ただ、文化と不可分か、という部分にのみ疑義があるというだけで。