aemdeko

日々の仕事に必要な調べ物の結果や個人的見解を備忘録的に書いておくと他の人に役立つこともあるかも、くらいのノリで。対象範囲は人口構造、社会保障費、都市計画、行政運営、地方自治あたりになろうかと。

【都市工学】都市のあり方を考えるとき、同時に農村のことも考えておかないと片手落ちだという話

 この話を書くにあたって、大きく2つの方向があるのだけれど、両方を混ぜるとそれはそれで混乱しそうなので、なるべく心を平静に努めて、片方についてだけ書く。もう1つの視点は、そのうち書く。まあ、結論は同じところにたどりつく…んじゃないかと、今の時点では思っているんだけれども。

 

 さて、日本の都市と欧米の都市を比べると、日本は都市と農村の境界が曖昧だ、というのは、よく聞く話。

 欧米…つっても、アメリカは16世紀以降に広大な大陸にごく少数の集団が移転して開拓していった国なので、「農村」というほどの村落は、そんなに存在しないんじゃないかと思うのだけど。

 欧州については、元々、都市が城砦に囲まれる傾向があって、現代ではその周縁にスプロールしている、とは言え、農村とは切り離されている…らしい。海外で生活したことないんで、あんまり実感ないけど。

 

 対して日本は、都市の境界が元々、曖昧な上に、小規模な村落が点在していたため、スプロールしていくときに、都市と村落の間、あるいは村落同士をつなぐ形で、市街地が広がっていったため、都市と農村の境目もゆるやかにつながっている。

 

 …と、まあ、そんな話はよく聞く。なぜ、このような違いが起きたか、と言うのは、しばしば産業革命と関連づけて話されるのだけど、通説には誤解もあるらしい。

 Wikipedia英語版による農業革命の記事:

 http://en.wikipedia.org/wiki/British_Agricultural_Revolution

 

 これによると宗教改革と市民革命によって、市民の権利が保障されたことが、まず大きなキッカケとなる。これにより営農者が土地の権利を明確化し、その利益を追求する動機が生まれる。

 イギリスの農業革命で大きかったのは、作物の変化で、これによって連作障害を防ぐと共に、冬季も家畜を飼い続けることができるようになり、大規模集約農業による生産性の向上が図られた。

 ここで誤解されがちなのは、この生産性の向上に際して、離農する人は、あまり多くなかった、ということ。初期の産業革命が、工場制手工業で、多くの労働集約を必要としたのと同様、この時点では、区画の整理、大規模化は行われているものの、まだ農村にも人口は必要だった。ただし、資本の蓄積が農村でも進んでいるため、土地所有者、その土地で経営する営農者、それに雇われる農民、という3層構造に次第に移っていくらしい。

 一方、食糧の増産により、英国の人口全体が増加し、その余剰人口は都市民となっていく。また、この都市民が食糧を購買することにより、農村では資本の蓄積が進む。都市民は、農村及び植民地の材料を加工した軽工業品を植民地に輸出することで、さらに富を生み出す。

 やがて都市民の軽工業が産業革命を産む。ポイントは、動力機関の獲得と、それとリンクする金属加工、特に鉄の低コスト化。まあ、2つ合わせて機械化、と言ってもいい。やがて、この技術は農村にももたらされ、ようやくここで農村の省力化が図られる、とのこと。さらに産業革命は科学技術の進歩を生み出し、農村にも生物学や化学の恩恵がもたらされ、また、貯蔵・輸送技術も進歩しながら、さらなる省力化と増産を進める。

 

 …で、実際に海外の農業地帯をリアルに見たことがないので、こういう話が本当なのかどうなのか実感としては、つかみづらいのだけど、とにかく、欧州の営農者というのは、都市に住んでいて仕事をしに郊外の農園に出向くか、もしくは、都市から離れた郊外の広大な農地の中で、1家族とか、そんな単位で暮らしているらしい。

 少なくとも、日本のように5軒~20軒くらいが集まって、「集落」を形成することは今やない…と、モノの本を読む限り、そう言われている。

 

 では、ひるがえって日本はどうか。

 よく言われるのは戦後、都市と農村の機械化が同時に進んだ、と。その一方で、戦後GHQによる農地解放により、土地所有の分散化が図られた。

 したがって、農業の効率化は図られ、都市産業の労働需要も高まったのだけれど、おそらく交通手段の自動車化もほぼ同時に来たこともあって、なぜか、農村の住民達は、農村に住んだまま都市に労働に出ることになった。その結果、農業で生産性が上がらなくても、農業の集約化、効率化を図るのではなく、都市労働によって補填する「兼業農家」というスタイルが生まれた。いまや、そのほとんどが会社勤めが主で、農業が副、あるいは農業が退職後の余暇のような形になっても、なお。

 

 これはウロ覚えなのだけど、実はGHQ離脱後、日本政府は農地の集約化を図ったこともあるらしい。でも、結局、住民自体が農地を手放したがらずに、進まなかったのだとか。「先祖代々の土地を」みたいなイメージなのか、あるいは「売れば一時の金、残せば末代までの食糧」と思ったのか、その辺は分かりませんが。

 ともあれ、戦後、しばらくは農水省系が国のエリートコースだったのが、60年代後半から70年代後半には、建設省に覇権が移るのだとか。まあ、それも農村に暮らして都市に通う人たちのための公共工事のためですよね。この「ため」が、どういう意味かは、色々と深い世界がありそうなのですが。

 

 というわけで、しかし、現代日本において、本当に兼業農家のようなスタイルが成り立つことが、日本国民にとって幸せなのか、ということは考える時期に来ている、と思うのですよ。

 モノの値段は、所詮、作る量と作るのに掛かった時間、買いたい人の数と払っていい値段がバランスするところでしか決まらない。それなのに、兼業農家という片手間で農作物が作れてしまう世の中は、あんまり素晴らしい世の中ではないと思うのですよ。

 本当にその手間で作れるなら、一人の人がもっと大量に作るべきだし、あるいは、もっと手間を掛けて作ったものが、その手間に見合った価値として提供されるべきではないのか、と。

 

※もっとも輸送・貯蔵技術の進歩で、海外からも安い食糧が入ってくることを考えると、手間をかけて付加価値を与える作戦で生きていける人のパイは本当に限られている、と思いますが。

 

 そして、兼業農家を卒業した人たちは、引き続き農村に留まるべきなのか、留まる理由はあるのか。

 

 そんなところを考えておかないと都市計画というのは進まないのだろう、と思う訳です。特に英国の農業革命では人口増によって余剰人口が都市に流出したのに対し、食糧も医療も進歩した現代日本では農業の構造改革で人口が増えることは期待できず、確実に人口が減っていく中で、都市人口をどう確保していくか、という問題もある訳なので。