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日々の仕事に必要な調べ物の結果や個人的見解を備忘録的に書いておくと他の人に役立つこともあるかも、くらいのノリで。対象範囲は人口構造、社会保障費、都市計画、行政運営、地方自治あたりになろうかと。

【都市工学】「コンパクトシティをどう考えるか」読後メモ

 (財)民間都市開発推進機構 都市研究センターが発行する「Urban Study vol.50 (2010/6)」所収の研究報告「コンパクトシティをどう考えるか」(大木 健一)を読んだ。

 A4二段組20ページですが、地方都市でコンパクトシティ実現するための諸課題がよくマトメられていて、取り急ぎ、興味深い指摘(特段、大きい疑義や反論は思い当たりませんでした)を以下にメモ。

 なお、全文は、上記リンク先からPDFで読めます。

 

 都市に対する考え方が欧州とは異なる……略……都市政策は主としてインフラ整備として、また、中心市街地は単なる買い物の場所としてしか認識されていなかった……略……

 ……略……「中世から現代に至るまで、欧州の社会的・文化的・経済的発展は都市を基盤としてきた」として、イタリア都市国家の力やハンザ諸都市の繁栄、大学都市の創造性などを例に……略……発展に寄与し続けてきたことが謳われていた。

 ……略……

 日本の都市は、実は「街割り」という都市計画からスタートした城下町は欧州の中世都市よりも計画的であったと言われる。しかし、木造の街並みは火災や戦災、近代化によって失われ、現在では一部の都市を除けば歴史的なシンボルとなるものは少ない。住宅は戸建住宅が理想とされ、中心市街地の集合住宅は仮住まいでしかなく、豊かになるにつれ人々は郊外に移り住んだ。産業は都市の中から外へ移転されるべきものであったし、政治や宗教、文化が都市という場所と結びつけて意識されることは稀であった。

 

  そもそも日本の都市は、なぜ、コンパクトシティと対極にある拡散型都市構造になってしまったのか。

 我が国の地方都市の多くは、江戸時代の城下町や港町などを起源としており、明治以降の鉄道網の形成や商工業の発達とともに次第に成長発展したものの、戦後の高度成長が本格化する1960年代までは、現在と比較すればはるかに人口規模は小さく、かつコンパクトな市街地を持っていた。ただし、都市と周囲の農村地帯との間には明確な境界はなく、また農村の人口密度は欧米と比較すれば高く、平野部であればどこでも多数の農家集落が点在していた。

 高度経済成長を経て……略……周辺の農村地帯や丘陵部の山林を蚕食する形で市街地を拡大させた。市街地(DID)面積の増加率はDID人口増加率より高く、したがって市街地の人口密度は低下傾向を辿り、低密度拡散型の市街地が形成された。

 その要因は、人々がより広く快適な住居を求めたこと、戸建住宅への選好が強かったこと、核家族化や少子・高齢化により1世帯当たりの人数が減少したこと、土地所有者(主に農家)の資産選択により農地が切り売りされたことなど多岐にわたるが、最大の要因はモータリゼーションの進展であろう。

 

  都市の内部構造としては、通常、最も利便性が高く集積の利益を最大に享受できる中心部は、中高層のビルなどの形態で、最も地価負担力の高い業務機能や商業機能が利用する。それより地価負担力の低い住宅はその周囲に配置される。都市的土地利用より地価負担力の低い農地は都市の外延部に残される。このようにして土地利用計画が存在しなくても市場メカニズムによって効率の高い都心集中型の都市構造が導かれる。

 

  ……略……低密度拡散型都市構造が形成されたのはなぜか。

 第1はモータリゼーションによる中心市街地の優位性の相対化ないし喪失である。……略……

 第2は市場の失敗である。

 中心市街地の土地は細分化され、かつ権利関係が輻輳していることが多い。……略……

 第3は政府の失敗である。これには都市計画等の規制が不十分であったことと、地方自治体自らが、中心市街地の再整備よりも郊外の開発を積極的に行うことによって拡散を助長したことが考えられる。……略……加えて、地方自治体自らが、学校や病院などの公共公益施設、さらには市役所庁舎までも地価の安さや用地取得の容易さを理由に郊外に移転したり、将来の経済発展と人口増加を前提としてスタートした郊外部での開発事業を、その必要性が低下した後も見直しをせず続けてきたという面もある。

 

 コンパクトシティの最大の問題点は、ゼロベースで考えれば(新たに都市をつくる場合には)コンパクトシティが望ましい姿であることは理解できるとしても、既にできてしまった拡散型都市構造を、今からコンパクトな集約型都市構造に再構築することが現実に可能なのか、その再構築がそれに伴うコストを上回る便益をもたらすのか、ということだろう。

 

 結局のところ、中心市街地の商店街が、かつてと同じように再生することは期待できない。地域の特性を踏まえつつ、商店街自体がリスクをとって再開発を実行する、観光地として再生を図る、住民生活に最低限必要な店舗を維持する、居住人口や昼間人口を回復させることを通じて再生を図る、といった戦略を選択・実行すべきということだろう。

 

 ……略……特に重要なことは、街の活気や賑わい、楽しさ、人との交流や文化など都市の魅力に関することだろう。それに比べれば高齢者等の生活利便性低下や環境負荷の増大などは副次的なものであり、中心市街地対策以外にも様々な手段がある。

 

 ……略……城下町や宿場町由来のものでは数百年の歴史を持ち、地域固有の様々な文化的資産を有し、住民にとって記憶を共有できる場所でもある。さらに、多くの機能が集中し、多くの人々が集まり、交流することから新しい文化や産業の創造につながることも期待できる。

 こうした役割を郊外のショッピングモールが代替することはできない。

 

  ……略……地方都市でも高齢者世帯や単身世帯が増加し、郊外の戸建住宅より便利な街なかでのマンション生活を好む人が増加している……略……

 

 ……略……中心市街地だけに再集中させることは非現実的である。そこで、人口減少社会においては、市街地面積のこれ以上の拡大を抑制しつつ、既成市街地全体での人口の維持・回復を図る……略……

 

 ……略……既に人々が土地住宅を財産として保有し、居住している郊外から短期間に政策的に縮退させることは、現実性に乏しく、かつ望ましくないと思われる。

 第1に、郊外に住む人は、そこに住み続けたい人と、街なかに住みたくても経済的に困難な人が大半である。……略……持家所有者が街なかに転居した場合の住居費の増大は郊外に住みタクシーを頻繁に利用するよりも高くなるだろう。コミュニティバス、宅配や介護サービスなど、郊外に住む高齢者の生活を支える現実的でより直接的な方法は他にもあるはずである。

 第2に……略……既に拡散型都市構造ができてしまった以上……略……道路や上下水道の維持費用を削減することはできないだろう。

 ……略……基本は郊外における新規開発を抑制し、発生した空地等の適切な管理を図ることであり、これに加えて、長期的視点に立ち、世代交代や建替えなどの機会をとらえて一歩一歩中心市街地近傍への住み替えを誘導することに限られるのではないか。

 

 

 ……略…… 交通経済学は交通に対する需要は派生需要であると認識するところから始まる。即ち本源的需要のないところに交通サービスを提供しても需要が起きるはずはないということになる。

 

 一応、自分なりに、まとめると拡散した都市を集約することに一定の価値はある。でも、商業施設と住宅は郊外開発の抑制が現実策で、直接、集積は図れない。公共施設は役所のやる気次第。そして、そこへのアクセスを改善するために公共交通で郊外とどうリンケージしていくか。といった感じでしょうか。